福島の「ゼロエフ」はどこにある? 出身作家が360キロ歩いたノンフィクション

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地震で決壊したダム事故があった

   福島県内の専業農家では、自死する人が相次いだ。ショックを受けた兄だったが、シイタケ生産を続けることを決めた。

「茸類が、原発事故のシンボルだからこそ、やめるわけにはいかなかった」

   その言葉を聞いて、「泣きそうだった」と書いている。福島を「出たいから出た」人間である自分に「あの原発事故後に語れることは何もない」と思っていた古川さんが吹っ切れた。

   「他者の話にただ耳を傾ける、傾聴する」のでもいいのではないか、と。そして、延期された「2020東京五輪」の開会式と閉会式に合わせて、ロードムービーのような取材を始めたのだった。この模様は「目撃にっぽん 震災10年の『言葉』を刻む ~小説家・古川日出男 福島踏破~」として、2020年9月にNHK総合で放送された。

   福島第一原発事故の影響で、当時あまり注目されなかった事故の現場にも行った。須賀川市の西部にある灌漑用ダム藤沼湖の決壊現場だ。地震当日に150万トンの水が流出し、死者7人、行方不明者1人。慰霊碑を作るプロジェクトを進めている人に話を聞く。

「残さないと駄目なんです。残さないと消える。もしかしたら消される。それを避けたい。だからね、慰霊碑はね、石です。『この場所だったんだ』と言いたい。『ここで、こういう水害があったんだ』と建てたい。石ならば、ええ、石ならば消えないわけですから」

   4号線を宮城県境まで北上、東北本線で仙台まで行き、常磐線で宮城県山元町の坂元駅で降りて、6号線を南下した。相馬市では野馬追の騎馬武者を務める佐藤信幸さんに会った。避難指示区域に取り残されていた被災馬を引き取り、調教して野馬追に使ったという。

   新型コロナウイルスの影響で、2020年は無観客で野馬追は開催された。2011年も規模を縮小した開催した。批判はあったが、地元の人たちから「自分たちはいろいろと奪われた。海も奪われた。本当にいろいろと。だから、野馬追は。野馬追だけは――」と開催を望む声が届いたという。

   南相馬市の原町では、「語り部」をする女性と対話する。取材を受けてテレビに映ると、「出演料はいくらなの?」とか「有名になったね」と言われるという。内部では、語り部は悪人視されているということに愕然とする。生業でもないのに。

   語り部は震災当日、その後を再現しつづける。一方、地元は復興(と呼ばれるもの)に進み、過去が「なかったこと」になる、と古川さんは考える。

   東日本大震災から10年、みたいな区切りで震災は忘却されるのではないか、どうやったら伝えつづけられると考えますか、との問いに、女性は「傷を残すこと、傷はたぶん、ずっと治らない」と答えた。

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