きょうはオンラインで、40代後半のOさんがいらっしゃっています。ちょっと顔がお疲れのようですが、コロナ疲れでしょうか。外出自粛が続いていますのが、Oさんどうされました?
「疲れが顔に出てしまっていますかね......。この10年間で、東日本大震災と新型コロナウイルス感染症と、二つの未曾有の事態と遭遇しています。東日本大震災が起こる前までは『未曾有』という言葉さえ、あまり聞きませんでした。まさか、2回も聞くとは思っていませんでした。最近の「コロナ疲れ」のように、東日本大震災のときも「自粛疲れ」というキーワードがありましたが、何となく疲れ方が違うなと感じています。私だけでなく、部下に対しても思います。それが、どんな違いなのかな、って......」
「がんばろう日本」という希望の合言葉
東日本大震災でもコロナ禍でも、まったく不安がないという方はいないでしょう。ただ不安の種類に違いがあると思います。
東日本大震災のときは、「計画停電」や「ガソリン不足」があった中で、飲食店も休業や時間短縮していたり、日本中で自粛ムードが漂っていました。被災地の様子をテレビで見て、誰もがショックを受けたでしょう。でも、そこから「がんばろう日本」とテーマが掲げられていったように、不安がありつつも、日本中が「復興」を目的、目標に進んでいます。なので、不安はありつつも、未来に向けての希望を持ち合わせていた状態だったと思います。
それに比べて、コロナ禍では「いつ収束するのか?」と先が見えない状態です。1年経った今も先が見えません。先が見えないことに対して目標が立てにくく、その分不安に繋がってしまうのです。日本全体の共通の目標が立てにくいことも原因の一つだと思います。
「考えても自分で解決できない不安」に対しては、悩みすぎないことが大事です。Oさんもどうしようもないことについて考えすぎても、先に進むことができませんよね。
東日本大震災の時にあった「?のためにがんばろう」という気持ちを、コロナ禍においても仕事の中に感じられる仕組みを作ることが必要ではないでしょうか。