医師が見たフクシマ 「被ばく」という見えない敵との闘い【震災10年 いま再び電力を問う】

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   東日本大震災、そして福島第一原子力発電所の事故から10年が過ぎた。「フクシマ」は、同じ被災地の岩手県や宮城県より「復興」が遅れている。妨げているのは「被ばく」のリスクだ。ふるさとに帰れない住民がいる。「帰れる」のに、帰れない人も少なくない。風評被害もある。こうした状態が、あと20年、30年と続くかもしれない。

   医師の立場から「フクシマ」をみてきた東京大学医学部 放射線医学教室准教授で放射線治療部門長の中川恵一先生に聞いた。

  • 「校庭のセシウムは地表から2センチまで」と話す、東大病院の中川恵一先生
    「校庭のセシウムは地表から2センチまで」と話す、東大病院の中川恵一先生
  • 「校庭のセシウムは地表から2センチまで」と話す、東大病院の中川恵一先生

健康への影響はまったくない

――東日本大震災、福島第一原発の事故から10年が経ちました。この10年で変わったところはありますか。

中川恵一先生「この10年で特に何か変わったというところはありません。しかし、立ち返って反省する時期だと思います。『14メートルもの津波が来ることが想像できなかった』というのは弁解にはならず、東京電力には絶対的な責任があります。その責任を果たさなければなりません。そして、原子力を支えてきた学者たちにも責任があったと思います。非常用の発電機を、いとも簡単に浸水してしまうところに設置してしまったのは反省すべきで、専門家として必要なアドバイスをしてこなければならなかったのです。そのような人たちが今も原子力業界とつながっている姿は一国民として違和感を覚えます。
一方、事故後の動きに対しては、東京電力も国も住民も頑張ったと思います。そこはチェルノブイリと比較すると圧倒的な違いです。日本人の底力を世界に示したと思います」

――先生は医師として現地を訪ねています。当時を振り返っていただけますか。

中川先生「2011年4月29日、私は専門家チームの放射線治療の専門医として福島に視察に行きました。福島市の小学校の校庭の放射線汚染状況を調べたところ、土を持ち帰り、地表に放射線物質のセシウムがどれくらいあるかを調べました。検査の結果、『校庭の放射線物質のセシウムは地表から2センチメートルまで』ということがわかりました。 空気中のセシウムは雨に付着して地表に落ちてきます。『除染』の必要を最初に声にしたのは私たちです。放射線汚染は、風向きや雨などの天候に左右されるため地域で異なります。福島原発事故当時、風が飯舘村に向いていて、空気中のセシウムが飯舘村上空に来たところで雨が降ってしまい、飯舘村は運悪く福島の中でも放射線汚染が高い地域になってしまいました。 地域の放射線汚染については、飯舘村が高い地域になってしまったのですが、私は放射線医学の専門医として飯舘村を支援してきたところ、人体への外部被ばくは最初の1年間でも5ミリシーベルトを越えたのはごくわずかとわかりました。10年経た今では、外部被ばくはすべて年間2ミリシーベルトに収まっていると思われます。そのうち99%が年間1ミリシーベルトに収まっていると思われます。内部被ばくに至ってはほぼゼロです。
ちなみに放射線治療の場合、前立腺がんでは8万ミリシーベルトの放射線を前立腺にかけます。白血病治療では、骨髄移植の前に全身に放射線を1万2000ミリシーベルトの放射線をかけることもあります。その放射線量と比べて放射線汚染の数値ははるかに小さく、放射線量から見ると、放射線被ばくが住民の健康に影響を与えたということはまったくなかったと考えています。
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