当たり前のことに「感謝」が生まれた
◆ 会社にジョギングシューズを常備していたことも
「震災の直後は、危機意識が高まりました。妻と一緒に子供のお迎えのこと、緊急連絡先や避難場所について、しっかりと話し合いをしましたね。備蓄や防災グッズも揃えたり、食器棚を壁と固定したり、いざという時のために会社から自宅への帰宅経路もきちんと調べ直しました。数年間は地域の防災訓練にも積極的に参加していましたね。
会社のロッカーにもしもの時に備えて、ジョギングシューズを常備していましたが、今はもう持ち帰っています。首都圏直下型地震が30年以内に起こる可能性があると言われていますが、自分の中でも防災に対しての意識がだいぶ薄れてきたと感じています。そして、そんなところに今回の新型コロナウイルスの感染拡大で再び意識が高まってきたところです」
◆ 当たり前のことに「感謝」が生まれた
「震災が起こる前は、仕事ばかりに集中していて家庭は妻に任せっきりでした。それが当たり前だと思っていたんですね。震災によって、家族の大切さを改めて実感しました。『こうやって仕事できているのも家族のおかげなんだな』『食べ物、電車や電気、ガスなど当たり前に使っているものは誰かのおかげなんだな』っと。
未曾有の大震災で、日本全体が『頑張ろう』と復興に向けて、これまで動いてきたんだと思います。ただ、私も含めて、記憶が薄れてきていますし、やはりだんだん防災に対する意識も薄れてきています。コロナ禍で防災意識が高まったことは皮肉なことですが、これからも『3月11日』はいろんなことを思い出す、考える1日にしたいと思いますね」
そうですよね。ホント、あの日のことを忘れてはいけないと思いますよ。私も......。(ひろ子ママ)