福島第一原発、40年かかる廃炉の道 10年が過ぎたが......【震災10年】

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「一生、福島においてください」と言い続けてきた官僚

   資源エネルギー庁の「廃炉・汚染水対策現地事務所」の参事官である木野正登さんは、事故当時、福島県に常駐する国の広報担当者だった。東京大学工学部で原子力工学を専攻した。旧通商産業省に入り、原子力関連の職場を歩いた。

   事故から5日後、福島に入り、国のマスコミ対応の責任者になった。木野さんは文科省に出向していた際に、原子力施設での事故が起きた時に放射性物質による影響を予測する「SPEEDⅠ」の担当をしたことがあった。そのデータが気になり、担当者に尋ねると、データは届いていたが、官邸から「外に出すな」という指示があったという。愕然としたが、従うしかなかった。

   「SPEEDⅠ」は、どの方向へ放射性物質が飛んでいくかを予測するシステムだ。「住民がどちらの方向に向かって逃げればいいかを示す指標。まさに住民のためのシステムだった。その情報を活用しないというのは悪だと思いました」と、語っている。

   実際、浪江町では線量の高かった津島地区に住民が避難したため、今も住民は国に対して強い不信感を持っているという。木野さんは自ら志願して、福島にとどまり続け、その不信感に向かい合っている。

   そんな木野さんは東電への懸念をより強めているというのも意外だった。東電は「イチエフ(福島第一原発のこと)を『普通』の現場にする」を合言葉に、現場の労働環境の改善を進めてきた。それは良いことだが、東電自体の事故に対する意識までもが、「普通」の状態になりつつあるのでは、と懸念するのだ。

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