原発事故から「逃げた」記者が原発周辺に住んでみたら......【震災10年】

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   本書「白い土地 ルポ 福島『帰還困難区域』とその周辺」のタイトルにある「白い土地」とは、いったい何か――。「白地(しろじ)」という耳慣れない行政用語が、東日本大震災の復興事業に従事する役所関係者のあいだで使われているという。

   東京電力・福島第一原子力発電所の事故によって、帰還困難区域とされた区域の中でも将来的に住民の居住の見通しがまったく立たない約310平方キロメートルのエリアを指す言葉だ。

   本書は「白地」とその周辺に住む人々に焦点をあてた人物ルポである。東日本大震災の被災地を取り上げた本は数多いが、エッジが立っている点で群を抜いている。

「白い土地 ルポ 福島『帰還困難区域』とその周辺」(三浦英之著)集英社
  • 福島第一原発の事故後は……
    福島第一原発の事故後は……
  • 福島第一原発の事故後は……

アフリカ勤務を終えた次の赴任地が福島だった

   著者は朝日新聞記者の三浦英之さん。記者としてアフリカなどに勤務。「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」で開高健ノンフィクション賞、「牙 アフリカゾウの『密猟組織』を追って」で小学館ノンフィクション賞、「日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか」(共著)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞するなど、ルポライターとしても活躍する異色の記者である。

   アフリカ勤務を終えた三浦さんの次の赴任地が福島総局だった。東京電力・福島第一原発のある大熊町を取材していた三浦さんは2時間かけて現地と役場が避難している会津若松市へ取材に通っていた。

   2019年春に町内の一部で避難指示が解除されることになり、より現地に近い南相馬支局に異動、現在も南相馬市に住んでいる。

   原発の立地する福島県浜通りの人々に密着した人物ルポ11章からなる。なかでも「こんな新聞記者がいるのか?」と驚かされたのが、「第4章 鈴木新聞舗の冬」だ。アフリカから福島に赴任した三浦さんは、避難指示が解除されたばかりの福島県浪江町で、たった一人新聞配達を続けている若い新聞店主がいることを知る。

   新聞配達を手伝いたい、新聞配達を通じて原発被災地の現実を見てみたい、という三浦さんの申し出を、80年の歴史を持つ鈴木新聞舗の3代目、鈴木裕次郎さんは了解した。

   三浦さんは週1回、鈴木さんを手伝う形で福島市から浪江町に通った。受け持ち地域は東京の山手線内をわずかに狭くしたほどの面積なのに、配達部数は85部。恐ろしく非効率だ。町役場は、帰還住民は人口の約3%、約490人と公表していたが、おそらくそれは「虚偽」だった、と書いている。

   店を再開したものの部数は少なく、配達員も集まらない。時給1500円で求人を出しても応募者はゼロ。廃炉や除染関連の高収入の求人が多く、誰も応募しなかった。「もう限界かもしれない」と思ったところに、三浦さんからの電話があったのだ。

   鈴木新聞舗の活動が日本新聞協会の「地域貢献大賞」に選ばれた。鈴木さんは配達員がいないので、とんぼ返りで東京の表彰式に臨んだ。「東京ってどんだけ明るいんですかね...」。夜は真っ暗な故郷を思う鈴木さんの言葉を三浦さんは聞こえないふりをしたという。

町長が明かした「事実」とは

   三浦さんは浪江町の民宿で仮眠を取ってから配達に行った。前夜、酒を飲まずに民宿階下の居酒屋で帰還住民と雑談した。町の現実を伝える連載記事は、病気のため公務を長く休んでいた馬場有町長(当時)の目にもとまった。

   原発事故と6年に及んだ全町避難について取材したいという申し出を、馬場氏は引き受けた。ただし、掲載は馬場氏が許可するか、万一のことがあった場合に、という条件が付けられた。新聞記者の職業倫理を逸脱する可能性もあったが、これを呑んだ。最初の取材のとき、馬場氏は自分ががんであることを打ち明けた。

   そして、こう語った。

「今でも『原発事故による死者はいない』と言う人がいますが、あれは完全に間違いです。浪江町にはあの日、本来の情報が届いていれば、命を助けることができたかもしれない人がいた。それをどうしてもあなたに伝えて欲しくて......」

   福島第一原発が危機的な状況になり、立地する大熊町と双葉町には通報したが、浪江町には伝えられなかった。10キロ圏外に避難するため、馬場は翌12日、町内の津島支所に入り、災害対策本部を開いた。全町民2万1000人のうち約8000人が津島支所周辺に避難した。

   ところが、この判断が禍根を残すことになった。大量の放射性物質は北西方向に流れ、津島地区の上空で雨や雪に混じり、落下したのだ。国は「SPEEDⅠ」というシミュレーション・システムで可能性を把握していたが、「住民がパニックに陥る恐れがある」として、浪江町に伝えていなかった。

   東電は避難を強いられた近隣の10市町村に一律2000万円の見舞金を送ったが、馬場氏は拒否した。拒否したのは浪江町だけだった。2017年1月、国が町中心部の避難指示を解除する考えを示すと、町民の意見は割れたが、馬場氏は帰還を決断した。その後、馬場氏は亡くなった。

安倍首相は「アンダーコントロール」だと答えたか?

   本書では「原発事故による死者」とは何か、具体的な記述はない。しかし、馬場氏が「事前に何らかの連絡が入っていたら、浪江町には当時、助けることができたかもしれない命があった」と語っていることから、将来の健康被害を念頭に置いていたのかもしれない。

   東電と政府の「無作為」の殺人の可能性。三浦さんは2007年に発生した新潟県中越沖地震の際に新潟総局に勤務していたため、東京電力柏崎刈羽原発の火災を取材、全国の原子力の現場を回った「原発記者」だった。三浦さん自身、いかなる自然災害にも原発は安全であるという神話を信じていた、と告白している。

   だから、東日本大震災の発生時、東京から北へ向かう車中で、福島第一原発で爆発事故が起きた可能性があるというラジオニュースを聞いても、そのまま三陸へ向かったという。

   「何かの間違いだろう」と事故から「逃げた」のだと。そんな後ろめたさが、アフリカから日本に帰り、三浦さんを福島に向かわせたのだろう。

   紹介した2人だけでなく、さまざまな思いを抱いて福島で生きている人たちが登場する。明るい話もあるが、グレーな話も少なくない。

   東京オリンピックの聖火リレーは2021年3月25日、福島県の原発被災地からスタートすることになっている。浪江町のリレー会場は、国が建設を進める水素製造施設だ。かつて東北電力浪江・小高原発の予定地だったが、反原発運動もあり頓挫したのだった。

   じつは建設予定地の98%の土地買収は済んでいた。そして水素製造施設へ転用されることになった。この土地を巡るきな臭い動きは、2014年に河北新報が報じていた。そして馬場氏もまた三浦さんにこの土地買収の経緯を取材するように依頼していた。

   昨年(2020年)3月7日、この水素製造施設「福島水素エネルギー研究フィールド」の開所式には当時の安倍晋三首相が出席した。取材を拒否された三浦さんは当日、「ゲリラ取材」を敢行する。

   今でも「アンダーコントロールだとお考えでしょうか」という質問への答えは......。

   余談だが、東北電力浪江・小高原発の反対運動を当時取材していた評者は、河北新報が報じた反対運動の闇に衝撃を受けた。いま原発予定地は水素製造施設に姿を変えた。どこまでも国のエネルギー政策に翻弄される「哀しい土地」だと思った。(渡辺淳悦)

「白い土地 ルポ 福島『帰還困難区域』とその周辺」
三浦英之著
集英社
1800円(税別)

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