【震災10年】その時、自治体はどうしたのか!? 中途退職する職員が多かった被災地

富士フイルムが開発した糖の吸収を抑えるサプリが500円+税で

   2011年3月11日の福島第一原子力発電所の事故当時、現地の役場では何が起きていたのか。国や県からの支持もなく、事故対応マニュアルは役に立たない。そして水素爆発の重い音が町中を揺らした。

   事故から避難、そして復興......。自ら被災者でありながら簡単には話ができない立場の自治体の幹部職員が重い口を開いた。本書「原発事故 自治体からの証言」には、原発災害の過酷な状況に直面した自治体職員の貴重な証言が収められている。

「原発事故 自治体からの証言」(今井照・自治総研 編)筑摩書房
  • 海岸から見た原子力発電所
    海岸から見た原子力発電所
  • 海岸から見た原子力発電所

情報は入らず、複合災害を想定せず

   編者の今井照さんは公益財団法人地方自治総合研究所(自治総研)主任研究員。東京都教育委員会、東京都大田区役所、福島大学教授を経て現職。著書に「自治体再建――原発避難と『移動する村』」(ちくま新書)などがある。

   今井さんが執筆した「原発事故と自治体」「データから見た被災地自治体職員の10年」の2章のほか、今井さんが福島県大熊町の石田仁・前副町長と浪江町の宮口勝美・前副町長へのインタビューを基にした証言で構成されている。

   今井さんは自治体職員の難しい立場について、こう書いている。

「彼らは国や県とも、あるいは住民とも立場が異なる。市町村長や知事とも違う。彼らもまた日常を喪失した被災者であるにもかかわらず、そのことを安易に口には出せず、住民に対しては支援者であり、組織の中では統治の一翼を担う。意にそぐわないことにも手を着けざるを得ないし、そのことをおくびにも出せない。しかしそういう彼らを支えることができるのもまた住民なのである」

   ともあれ、彼らは一義的にもっとも住民に近い公務員であり、原発事故が起き、率先して住民を避難させなければならなかった。情報が乏しい中で、どう対応したのか。第一原発が立地する大熊町の石田さんは当時、農業委員会事務局長だったが、災害対策本部の補助に入った。

   福島第一原発と役場をつなぐホットラインは断線して通じず、第二原発を経由して第一原発の原子炉が緊急停止したという連絡が入ったという。停止したなら、後は冷やして閉じ込めるだけだから大丈夫だと思った。

   21時前に県が独自に2キロメートル圏内の避難指示を出したと後で知ったが、町では誰も聞いていない。テレビで3キロ圏内の避難指示、10キロ圏内の屋内退避を聞いてから、「ああ、ようやく出たね」という話になったという。

「原子力防災訓練はやっていたが、複合災害は想定しておらず、まして原発は大丈夫だ、安全だと教え込まれており、このような地震・津波と原発という複合災害に対してどう行動するかは考えていなかった」
姉妹サイト