東日本大震災から10年、僧侶は人々の話を聴き続けてきた

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   東日本大震災からまもなく10年。被災地の人々に寄り添い、話を聴く移動喫茶「カフェ・デ・モンク」の活動を続けてきた僧侶の金田諦應(かねた・たいおう)さんが、この10年を振り返ったのが、本書「東日本大震災 3.11 生と死のはざまで」である。

   霊的な体験をした人たちの「心の相談」にも乗り、海外のメディアにも紹介された人だ。宗教者の真摯な問いかけが胸を打つ。

「東日本大震災 3.11 生と死のはざまで」(金田諦應著)春秋社
  • そして、すべてが流された……
    そして、すべてが流された……
  • そして、すべてが流された……

震災から49日、僧侶の唱える経文は叫びに変わった

   金田諦應さんは1956年、宮城県栗原市生まれ。駒澤大学仏教学部卒。同大学院修士課程修了。宮城県の内陸部にある栗原市の曹洞宗・通大寺住職。日本臨床宗教師会副会長。

   栗原市は2005年、自殺率が全国一となり、自死した人の葬儀が相次いだことから、「栗原命と心を考える市民の会」を立ち上げ、自殺防止の取り組みを始めた。志を同じくする僧侶7人と托鉢姿で黙々と歩く沈黙の行脚を続けた。

   寺を飛び出し、さまざまな人と会う行動力が、東日本大震災を機にさらに深化を遂げる。

   地震と津波で沿岸部の火葬場がほぼ壊滅したため、内陸の火葬場に沿岸部から多数の遺体が運ばれてきた。金田さんらは、行政と取り決めをしたうえで、火葬場で読経ボランティアを1か月半続け、合わせて350体ほどの遺体に祈りを捧げた。

   震災から49日目には、僧侶10人と牧師1人が参加して、宮城県南三陸町で追悼行脚をした。そこでの体験を、こう綴っている。

「遺体の見つかった瓦礫の山には赤い旗が立っている。周囲には死臭とヘドロが入り混じった臭いが漂う。私たち僧侶の唱える経文はやがて叫びに変わり、後ろを振り返ると、牧師は讃美歌集を頻繁に閉じたり開いたりしている。この状況の中で歌う讃美歌が見つからないのだ」
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