病院は「3.11」から学んだのか
資源の欠乏と需要の増加、財政危機が同時に起こるという窮状の一方、医療者は患者の生命を自分の生命よりも優先させなければならないという重責にも耐えなければなりませんでした。水素爆発の様子がテレビで報道された直後、職場の許可を得ずに避難された医療者は何人もいます。そのスタッフたちは、自分の身を守ったが、ゆえに心に傷を負う結果となりました。
東日本大震災の2年後の2013年に、東北地方の医療職の方にアンケートを行い、
「どのような状況であれば医療者は患者を断っても許されると思いますか」
と質問したことがあります(注5)。
興味深いことに、東日本大震災を経験した後でもなお半数以上のスタッフは、限界と感じても、病院の在庫が枯渇しても、「患者を断ることは許されない」と感じていることがわかります=下の図1参照。
震災から数年後に浜通りに支援に来た看護師さんは、多くの病院スタッフが当時避難したスタッフを「逃げた」と表現していることにとても驚いていました。自分や家族の身を守ろうと避難すれば「逃げた」と後ろ指をさされる。当時の病院はそういう状況でした(注6)。
これだけの規模の被害を来した災害から、日本の医療はどれだけのことを学んだのでしょうか。
2015年に全国の全病院に対して行ったアンケート調査 (注5、注7) によれば、2015年時点で病院の建物の耐震基準準拠率は約半分であり、また食料や水の貯蓄もない病院も多数あります=図2参照。病院の性質ごとに解析してみると、精神病床や長期療養病床の多い病院ではこのような備えがより少ない傾向にあります(注8)。
ところが実際に大災害時の支援は拠点病院に集中し、精神病床や長期療養病床の多い病院は支援が後回しにされがちですから、現状の災害への備えは、現実との大きなギャップがあるということです。