福島原発事故による「内心被曝」とはいったい何だ?【東日本大震災から10年】

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   「内心被曝」という耳慣れないタイトルが目に入り、手に取ったのが本書「内心被曝 福島・原町の一〇年」である。

   福島第一原子力発電所の事故による外部被曝でも内部被曝でもなく、心の奥深くに受けた傷を、ある主婦が「内心被曝」と呼んだことに由来する。

「内心被曝 福島・原町の一〇年」(馬場マコト著)潮出版社
  • 10年前、福島第一原子力発電所の事故で住民は避難を余儀なくされた
    10年前、福島第一原子力発電所の事故で住民は避難を余儀なくされた
  • 10年前、福島第一原子力発電所の事故で住民は避難を余儀なくされた

2011年3月11日15時27分、福島原発は全電源を喪失した

   福島県・原町は「相馬野馬追」で知られる小都市だ。近隣の2町と2006年に合併し、「南相馬市」となって5年目に東日本大震災が発生した。東京電力福島第一原子力発電所から20~30キロメートル圏に位置する同市は、「警戒区域」「緊急時避難準備区域」「非避難区域」に分断された。震災発生時の同市原町区(旧原町市のエリア)の人口4万7000人のうち、市内に残ったのは8000人といわれ、3万9000人が自主避難した。

   原発から微妙な距離に位置したため、ほかの地域とは異なる生活を余儀なくされた市民たち。本書では4つの家族に焦点を絞り、その10年を追っている。「普通の人々」が、いかに原発汚染におびえながら日々を耐えたのか――。

   著者は「アフターコロナ、ウイズコロナ時代を生き抜くための、さらにはすぐにやってくる超高齢社会日本のひとつの答えがある」としている。

   第一章「終戦記念日」で登場する家族は、福島原発から20キロ圏のぎりぎり外側に住む松本優子さん(震災当時47歳)が主婦の目から語っている。一男二女の子どもたちは、それぞれ高・中・小学校に通っていた。

   2011年3月11日15時27分、福島原発は津波に襲われて全電源を喪失し、冷却水の供給が止まった1号機は炉心溶融を始めた。国は19時3分に原子力緊急事態宣言を発令。21時23分には福島原発から半径3キロ圏内に避難指示を、半径10キロ圏内に屋内避難指示を出した。

   同市小高区の南端は15キロ離れているが、松本さんが夜に市役所を訪れた時、福島原発に関して、まったく無関心だったという。津波被害と余震対策に加えて、津波発生と同時に起こった東北電力原町火力発電所の火災、停電事故の対応に大わらわだったのだ。

   12日午後、福島原発1号機は水素爆発を引き起こし、国は立ち入り禁止区域を半径20キロ圏に拡大した。14日には3号機が水素爆破し。20キロから30キロ圏内に屋内避難指示が出た。その中に原町区全体がすっぽり入った。自宅に留まる訳には行かないと同じ市内の先輩の家に一家で一時逃げ込んだ。

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