えっ、私たちもサラ金に資金を供給していた!?

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戦後生まれた団地金融

   金融機関による小口信用貸付として、サラ金の直接の源流と小島さんが見ているのは、安田銀行系列の日本昼夜銀行が1929年に始めた「サラリーマン金融」である。対象は公務員か「相当なる会社」に勤めるサラリーマンに限定され、連帯保証人を複数立てなければならなかった。

   結局、庶民が頼ったのが質屋だった。そして戦後、団地金融が生まれる。「団地の方なら信用させていただきます。お電話一本で御希望の現金を届けます」というキャッチフレーズで急伸した。

   「居住形態というノーコストで入る情報が、顧客の全信用情報を織り込んでいると判断し、大胆に金を貸し付ける」という、当時としては革新的な簡便な審査方法を導入したのが、成功の要因だった。

   だが、融資の対象を稼ぎ主の夫ではなく、主婦である妻だけに限定したことに限界があった。60年代半ばから団地金融に代わり、サラリーマン金融が急速に成長する。

   アコム、プロミス、レイクの創業者たちの経歴を紹介しながら、それぞれ独自の融資方法を編み出していったことを詳しく書いている。なかでも融資対象を公務員か上場企業の社員に限定していたプロミスの創業者の言葉が印象に残る。

「役所なり企業の入社試験が則ち当社の貸付調査である」

   勤務先情報だけに基づいて融資するサラリーマン金融の誕生は、団地金融と並ぶもう一つの金融技術の「革新」だった。

   ところで、サラ金各社はどうやって資金を確保したのか――。本書では武富士の創業者、武井保雄を例に説明している。金融機関の担当者を接待するため、「命懸け」で酒を飲み、出会ったのが東京相互銀行(後に東京相和銀行に改称、現・東京スター銀行)の会長だった長田庄一だ。同行をメインバンクにし、巨額の資金調達に成功し、短期間で業界最大手となった。

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