どうして信用金庫が「原発ゼロ」を掲げるようになったのか(城南信用金庫名誉顧問 吉原毅さん)

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プラトンの『国家』論の影響を受けて経営改革

――ユニークな新商品を開発されたことで吉原さんは有名ですね。

吉原さん「1983年から金融機関で窓口販売が始まった国債に目を付けました。積み立て機能をプラスし、積立金が一定額までたまったら、国債と定期を7対3で買い入れる『城南貯蓄国債口座(トップ)』を、得意のパソコンを駆使して開発しました。また、金融自由化に対応し、『城南スイスフラン通知預金』を開発しました。規制金利の円預金よりはるかに高利回りで、しかも為替差益は雑所得扱いとなり、利息のように課税されません。1986年に発売すると、1か月で500億円を超える大ヒット商品になりました」

――その後、吉原さんは「クーデター」を起こしますね。

吉原さん「平成となって間もない1989年、小原会長が89歳で亡くなられました。その後、なりふり構わず権力を奪った後任理事長の『恐怖政治』と専横が続きました。経営の私物化が進み、経営方針も混乱し、業績は急激に悪化しました。そこで2010年11月、定例役員会で私は理事長の解任動議を提案。副理事長だった私が理事長に昇格しました。『クーデター』とも報じられましたが、法的な手順を踏んだ正当な経営陣の交代であり、クーデターではありません。
理事長と会長の任期を通算で最長4年、定年を60歳にしました。また、理事長権限から人事権を切り離し、人事委員会に一任するようにしました。さらに経営が私物化される要素を排除するため、国政の三権分立を参考に、執行、管理、監査、内部監査の権限を分離する5権分立体制としました。これらの背景にはプラトンの『国家』(岩波文庫)の影響があるかもしれません。アテネの民主主義がいかにして腐敗していったのか、独裁主義が生まれたのか。そうならないように徹底的に考えました」
吉原さんが寺脇研さん、前川喜平さんと語った近著「この国の『公共』はどこへゆく」
吉原さんが寺脇研さん、前川喜平さんと語った近著「この国の『公共』はどこへゆく」

――ご自身も60歳で理事長を退かれ、さまざまな仕事や著作活動をされていますね。

吉原さん「『原発ゼロ』を実現するため、講演・執筆活動も行っています。著書に『城南信用金庫の「脱原発』宣言』(2012年、クレヨンハウス)『原発ゼロで日本経済は再生する』(2014年、角川oneテーマ21)『信用金庫の力』(2012年、岩波ブックレット)などがあります」

   吉原さんの近著は「この国の『公共』はどこへゆく」(2020年、花伝社)だ。元文科省官僚で映画評論家の寺脇研さん、元文科省次官の前川喜平さんとの鼎談だ。前川さんは麻布学園の同級生であり、同じラグビー部のロックとして試合に出場した友人でもある。

   「自主独立」を掲げる麻布学園の校風、慶応義塾大学経済学部の恩師・加藤寛さんの著作、西部邁さんの「社会経済学」と伝統的な保守思想、プラトンの国家論......。それらが渾然一体となって、吉原さんの思想と行動を形づくったことが伝わってきた。(渡辺淳悦)


プロフィール
吉原 毅(よしわら・つよし)
城南信用金庫名誉顧問
1955年東京都生まれ。77年慶応義塾大学経済学部卒。城南信用金庫入職。83年企画部配属、92年理事・企画部長、96年常務理事、2000年専務理事、06年副理事長、10年理事長就任。定年を60歳とするなど、コーポレートガバナンスを目的とした改革を断行、15年理事長を退任し相談役に。17年顧問、20年名誉顧問に。現在、しんきん成年後見サポート理事長、麻布学園理事長、日本社会連帯機構副理事長などを務める。

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