「渋沢栄一精神」の有無が東京大学の敗北に
一方、東京大学を上回る一橋大学の年収アップの秘密はどこにあるのか。一橋大学といえば、数多くの経済人を輩出している大学だが、現在NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一が「経済人の養成のために創立した」とよく喧伝されている。
ところが、一橋大学のホームページを見ると、こう書かれている。
「明治 8年(1875)年 8月 森有礼が東京銀座尾張町に商法講習所を私設する。9月24日同講習所の開業を東京会議所から東京府知事に届け出る。この日を本学創立記念日とする」
つまり、本当の創立者は「近代教育行政の父」と言われた薩摩人の森有礼というわけだ。それがなぜ渋沢栄一になるのか。「年表でつづる大学の『始まり』物語」というサイトをみると、「渋沢栄一と一橋大学」について、こんな記述がある。
「森有礼が私塾『商法講習所』を開設するも、直後に特命全公使として清国渡航を拝命したため、経営に携わることができなくなり、存亡の危機に。(渋沢栄一らが)有志による献金を提唱、経費を補充する。『東京商業学校』と改称...。渋沢栄一が経営を任されることになった」
東京商業学校(一橋大学の前身)が軌道にのった頃、渋沢栄一は「官尊民卑」の世俗を憂い、また東京大学の学生が実業を軽視する風を嘆じ、東京大学総理(学長)の加藤弘之に訴えた。すると、加藤弘之は是非、実際に学生に講じて欲しいと依頼した。そこで渋沢栄一は東京大学文学部の講師になり、「日本財政論」を教え始めたとある。ちなみに東京大学で、経済学部の前身である経済学科が法学部の中にできたのは、ずっと後年の1908年(明治41年)である。いかに「経済」を軽視していたかわかる。
こんなふうに、官界に権勢をふるい実業を下目に見てきた東京大学と、「経済と人々の生活」を重視する渋沢栄一の精神を叩き込まれてきた一橋大学の違いが、現在の年収の差にも表れてきているのかもしれない。
(福田和郎)