鉄道の国有化に衝撃受ける
東京駅丸の内側の駅前広場に銅像もある井上勝は「日本の鉄道の父」と言われる。鉄道は国家全体に影響を及ぼすものだから官営であるべきだ、という井上と鉄道は民営であるべきだ、という渋沢の考えは対立していた。だが、日本鉄道の建設にも井上は協力、二人はパートナーだった。
鉄道建設が滞ると作業員や技術者は仕事がなくなる。計画・用地買収・建設工事という面倒な作業を官が請け負った。「本来は日本鉄道がやる作業を、井上は進んで引き受けたのだった」と書いている。
鉄道の国有化論争に終止符が打たれたのは1906(明治39)年、政府の念願だった鉄道国有化法が公布された。日露戦争後の景気悪化で経営難に陥る鉄道会社もあり、渋沢は「鉄道は民営」という主張を軟化させた。
幹線機能を担う17の私鉄が政府に買収された。現在の中央線の一部にあたる甲武鉄道、山陽本線にあたる山陽鉄道、鹿児島本線にあたる九州鉄道などのほか、渋沢が経営に関与した北海道炭礦鉄道、日本鉄道、参宮鉄道、西成鉄道なども国有化された。渋沢には大きな衝撃だったという。