デジタル技術の進化は、新興国・発展途上国の姿を劇的に変えつつある。中国、インド、東南アジアやアフリカ諸国は、いまや最先端技術の「実験場」と化し、決済サービスやウィーチャットなどのスーパーアプリでは先進国を凌駕する。
一方、雇用の悪化や中国が輸出する監視システムによる国家の取り締まり強化など、負の側面も懸念される。本書「デジタル化する新興国」は、コロナ禍でますます加速する新興国のデジタル化の可能性とリスクを紹介した本である。
菅義偉首相はデジタル庁の創設を目玉政策の一つに掲げている。本書は日本のとるべき戦略についても提言している。
「デジタル化する新興国」(伊藤亜聖著)中央公論新社
プラットホーム企業が取引の「信頼と透明性」を確保
著者の伊藤亜聖さんは東京大学社会科学研究所准教授。専門は中国経済論。著書に「現代中国の産業集積-『世界の工場』とボトムアップ型経済発展」(名古屋大学出版会)や「現代アジア経済論」(共著、有斐閣)などがある。
2017年度に中国・深せん市に滞在し、中国企業の活力ある新事業創出を目撃。モバイル・インターネットが生活を塗り替える姿を体感した。その後、多くの新興国を訪ね、デジタル技術が社会を変える様子を見た。
新興国のデジタル化の明暗を論じた本だが、新書判でルポの場面も多い。「へぇー、進んでいるな」と感心するうちに読み終えるだろう。
書き出しはインドの首都・デリーの国際空港で「コネクテッド・三輪バイク」に乗る場面から始まる。用意していた国際SIMカードをスマホに差し込み、起動。配車アプリのウーバーを使う。スマホのアプリを使い、クレジットカードで支払うので、乗車に現地通貨インド・ルピーは必要ない。アルファベットで行先を入力すると、評価の高い運転手が割り当てられ、目的地に着いた。自動車がインターネットと常時つながることで、配車や交通状況の把握が可能となりつつある。
売り手と買い手の間に立ち、取引を成り立たせる「プラットホーム」の普及は、多くの新興国が長年直面していた「信頼と透明性」の問題を劇的に解消した。
デジタル化の恩恵は先進国よりも新興国のほうが大きい
ウーバーなどのライドシェアサービスは、第三者であるプラットホーム企業が乗客と運転手の取引を成立させ、同時に取引をモニタリングし、安全性と信用性を提供できる。GPSの信号をもとに最短経路を示し、走行経路も記録する。さらに乗客にサービスへの満足度を尋ねることで、運転手のサービス水準を評価(レーティング)できる。サービスの悪い運転手には新たな乗客が配分されず、徐々に淘汰されていく。
中国のアリババ集団による支付宝(アリペイ)というサービスも買い手と売り手の間に信用が欠けている状況下でも、第三者としてのプラットホーム企業が取引を保証し、またモニタリングすることで、見ず知らずの相手との取引が進む。日本ではフリーマーケットアプリのメルカリで採用されているこの仕組みは、「エスクローサービス」と呼ばれる。
先進国では取引の公正さはある程度担保されているので、安心して利用できるが、中国や東南アジア、アフリカなどの新興国では、不確実性が大きかった。デジタル化によっていままで属性が不明だった取引相手が可視化され、市場全体が見えるようになったのだ。こうしてデジタル化の恩恵は、先進国よりも新興国のほうが大きいと論じている。
本書では、中国の貧困地域である貴州省における遠隔治療、アフリカで広がるモバイル・マネー、南アジアに広がるフリーランス経済、南アフリカのドローンなどを利用した精密農業とスマート漁業、中国のアリババ集団傘下の物流企業の「割り切り」アプローチ(「ラスト・ワンマイル」は顧客に取りに来てもらう)などの例を取り上げている。
また、各国のベンチャー企業と拡大するベンチャー投資についても紙幅を割いている。
こうしたキャッシュレス化やシェアリング・エコノミーの普及では、一部の新興国の方が導入のスピードが速く、先進国を「追い越す」動きも見られる。この動きの中心にあるのが、先進国にも存在してこなかった統合的なスマホアプリ、いわゆる「スーパーアプリ」だという。
典型は中国のテンセント・ホールディングスの微信(ウィーチャット)、アリババ集団の支付宝(アリペイ)、東南アジアのゴジェックやグラブ、インドのPaytm(ペイティーエム)だ。
社会インフラの一部となりつつあるスーパーアプリ
たとえば、ウィーチャットの中心的機能はメッセージのやりとりだ。日本で言えばLINEに近い。中国のユーザーはこれを仕事にも使うのが特徴だ。仕事のツールとして利用し、仕事で会った人とアカウントIDを交換する。また、グループチャット(3人以上のユーザーが一つの会話をするチャンネル)が大量に立ち上がる。さまざまな社交の場にもなっている。
さらに、決済機能が追加されたことで機能が飛躍的に拡張された。
「金融資産の運用、タクシーの配車、飛行機・新幹線・映画のチケットの予約購入、募金活動、公共料金の支払いまでが可能になる」
「運転免許証、医療保険証、身分証、社会保障証がウィーチャットから表示できるほか、行政手続きの電子化も進んでいる。言うなれば、アーパーアプリはもはや社会インフラの一部となりつつある」
なぜ、新興国でスーパーアプリが普及したか、その理由も詳しく説明している。
本書は最後にコロナ禍に触れ、パンデミックがデジタル化を加速させると見ている。感染リスクを下げる手段としてデジタル技術が活用されたからだ。また、リモートワークにより新たなデジタルサービスも広がった。
伊藤さんはデジタル化が新興国の可能性と脆弱性の両面を増幅する、という見立てから、さまざまな論点を示した。そして、「総論としては、日本は新興国がデジタルによって得られる可能性を拡大し、ともに実現し、同時に脆弱性を補うようなアプローチを取るべきだ」と書いている。
そのためにも新興国のデジタル社会にアンテナを張り、関わっていくことだ、と結んでいる。通読して、日本が「デジタル後進国」であることだけは、はっきりわかった。
ちなみに、本書では日本、アメリカなど先進国36か国が加盟する経済協力開発機構(OECD)諸国以外を「新興国」と呼んでいる。したがって未加盟の中国、インド、南アフリカなどは「新興国」として扱われている。
「デジタル化する新興国」
伊藤亜聖著
中央公論新社
820円(税別)