「社会人の自覚」って、なあに?
今年4月に新卒として会社に入った友人に、「社会人になったんだね」とポロッと言ったことがある。そしたら彼女は、「社会人という言葉はあまり好きではないし、違和感があるから人にも自分にも使わないようにしている」と、教えてくれた。
「一般的な社会人という言葉の意味は、社会(≒会社)に出てお金を稼いでいる人という意味だと思うけれど、じゃあお金を稼いでいない人たちや会社で働いていない人たちは社会にいると認識されていないの?」
と......。
わたしたちは高校や大学を卒業して、ひとたび就職した途端に「社会人になること」を要求される。「社会人の自覚を持って!」とか「社会人として向上心を持って!」とか言われる。
そして、その自覚と責任に見合った分のお金を、対価としてお給料でもらうことになるのだろう。お給料をもらうためには、たしかにそれ相応の責任を伴う仕事をしなければならないし、その責任こそが「社会人」とそうでない人を分けているのかもしれない。でも正直、自分の中身は全然変わっていないのに、「学生」が終わった途端に「社会人」になることを要求されるとついていけないと思ってしまうわたしは甘いのだろうか?
友人は、こうも言っていた。「学生」という立場から「働く人」になるというのは、本来はもっと緩やかでグラデーションがあるはずだと。お金を稼いでいるかそうでないかというthe 資本主義な基準によって、「ここまでは社会人ではない」「ここからは社会人」と明確に線を引くことには、どこか抵抗があるそうだ。
一線を越えたからって急に「社会人」になれる気はしないし、そもそも「社会人」が「会社人」のみを包括しているような雰囲気もヘンな感じがする。大学を卒業後、「会社に就職しない=社会からのドロップアウト」という風潮が今のスタンダードだけれど、「会社人」になる以外の選択肢では本当に「社会人」になれないのだろうか。
「そんな細かいこと気にしてないで、『社会人』としての自覚を持って働け!」なんて声が聞こえてきそうだけれど、そんなあなたに改めて聞いてみたい。「社会人」って、いったいなんですか?(叶多凛)