自己の非を認めない経営者
そして、3点目。久美子社長は就任来、決算発表あるいは業務提携、資本提携などのたびにマスコミの前で会見に臨んでいます。そのたび、業績悪化についての、いわゆる責任者として事業戦略に関するレビューを求められるような質問を受け続けてきたわけなのですが、彼女は一度たりとも自らの戦略的な誤りを認める発言をしたことがありません。
常に当初からの戦略の延長線上で、「前向きな戦略の一環」「新たなやり方で回復に向かっている途上」的な自己肯定の発言に終始してきました。前回、ヤマダ電機から51%の出資を受け傘下入りをした際にも、「ヤマダ電機のグループ傘下入り」ではなく「ヤマダ電機との業務・資本提携」という形であくまで主体的な戦略の一環であり、救済ではないという印象づくりにこだわり続けてきたのです。救済を認めることは、自己の非を認めることになるからです。
ヤマダ電機が資本支援の「救済者」になるまで、支援先として多くの企業の名前があがったものの、どれも契約成立に至らなかったのは、久美子社長が自身の社長のイスにこだわったからであるといわれています。
一般的に、企業が業績悪化により救済的資本注入を受けるならば、社長は戦略指揮者として、それまでの非を認め責任をとって、その座を降りるのが当然の流れでもあります。4期も連続で大赤字を続けていればなおさらのことです。
資本注入時に久美子社長に猶予期間を認めたヤマダ電機は、破格の対応と言えます。しかし結果は、1年で実質解任。発表後に同社の株価がストップ高になったことからも、市場からも疎まれ退任を望まれていた経営者であったことがわかります。
このように自己の非を決して認めない経営者の姿は、組織内外を問わず好感を持たれるはずがないのです。
組織としての企業を動かし業績を上げていくということに関して、経営者一人がどんなに優秀であっても人の集まりである組織が付いてこないなら前に進ませることはできないのです。
どんなに素晴らしい戦略であろうとも、求心力のないところでは無力である。久美子社長は、世の経営者たちにそんな教訓を残してくれたのかもしれません。(大関暁夫)