靖国通りに面する北澤ビルの2階にある神保町有数の老舗、北沢書店。1階のブックハウスカフェ(「イベントいっぱい! 子どもの声が響き、大人がほほ笑む『児童書』の専門店 Vol.1『ブックハウスカフェ』」2019年10月23日付)から、カーブを描く階段(現在は感染症対策のため封鎖)をのぼり店内に入ると、北沢書店の紡いできた歴史を思わせるような重厚感に満ちている。
背の高い本棚には皮張りの洋書がずらっと並び、細部までこだわりを感じる店内はまるで映画の中のようだ。北沢書店の3代目である北澤一郎さんにお話をうかがった。
創業117年の北沢書店もインターネットの台頭で苦戦
北沢書店の創立は、1902(明治35)年。店主、北澤一郎さんの祖父の代で書店を始め、大学で英文科の助教授を務めていた父の代から英米文学を、主に扱うようになった。学生時代から仕事を手伝い、卒業後に入社。先代のもとで新刊本を担当しながら古書についても学んだ。
その後先代が亡くなり、数年後の37歳で社長に就任。「父から学んだ数年間は貴重な時間でした」と振り返る。
宅配便やインターネットの登場、大きく変化する時代の波を度々感じながら、今はアパレルの職歴を持つお嬢さんが跡を継ぎ、家族でその歴史を紡ぎ続けている。
英国の田舎町の書店を巡り、現地に赴いて珍しい本を探していた時期もあるという。当時は珍しかった日本人の買い付けに、現地の店主さんを驚かせたそうだ。
そうした努力を重ねて築いた北沢書店のブランド的価値を大きく揺るがしたのは、インターネットの台頭だった。国内外に関係なく、誰でも簡単に本や価格を見比べられるネット売買では、これまでのような足で稼ぐ方法は通用しないと悟り、一郎さんは大きなショックを受けた。
「私の人生でも1番の挫折でした。なにもやる気が起きなくなってしまい、店を閉めることも考えました」
と振り返る。
しかし、続けてほしいという多くの声もあって、2005年の改築時には新刊書1階の新刊売場部分をテナント(現在「ブックハウスカフェ」が入居)とし、規模を縮小して古書販売を続けることを決意した。
「KITAZAWA DISPLAY BOOKS」
今の北沢書店のスタイルに至ったきっかけは、2005年のこと。「洋子書のビジュアルに惹かれるお客さんもいるのでは」、という奥さんのちょっとしたアイデアだった。それは一郎さんには目から鱗の発想だった。
「これまでずっと読み物としての本としか考えておらず、装飾品として扱って良いものか、はじめはとても葛藤がありました」
それでも、新たな挑戦に踏み切るきっかけになったのは、思いがけずお客さんから良い反応をもらったからだ。
「そこで初めて、ディスプレイとして洋書を求めているお客さんがいるんだとわかりました。商売として始めるならとことんやろう!と前向きに取り組んでいます」
今では娘さんが中心となって、企業などのコーディネート事業を行っている。洋書のある風景を守り続けた、北沢書店ならではの発想の転換であった。SNSでの発信にも力を入れており、Instagramの美しい写真は好評を博している。
挑戦を続けてきたことで、北沢書店の今がある。書架の配置を示す図には、棚にジャンル名ではなくアルファべットだけが示されている。「今後の変化も視野に入れ、柔軟に対応できるよう、あえてジャンル名は印字しませんでした」。
お客さんの反応や時代の変化を探りながら、商売におけるベストを尽くすことに変わりはない。コロナ禍で前向きな気持ちになれたのは、あの挫折があったからこそだろう、と一郎さんは言う。
そんな一郎さんの姿は、神保町の老舗書店の大らかな力強さを目の当たりにしたようであった。(なかざわとも)
※ 北沢書店ホームページ http://www.kitazawa.co.jp/</p>