予定調和を「よし」とせず
私は1990年代後半の全国銀行協会への出向時代に、インターバンクの重鎮が集まって銀行界の諸問題について全銀協方針を決定する一般員会に陪席していましたが、当時住友銀行の専務であった西川氏が同行の代表として出席しており、氏の物言いに直接接する機会がありました。
インターバンクのこの手の会議では、予定調和的な流れも多く、活発に意見を戦わせるという場面は少ないのですが、西川氏に関しては少しでも納得がいかない議題については漏らさず自身の意見をぶつけるという、他の委員とはまったく異なる決して周囲に媚びることのない、筋の通った姿勢が印象に残っています。
それは迎合や忖度に流されがちな銀行員ではなく、バンカーという言葉がしっくりくる姿であったと、今さらながらに思うところです。
こうして改めて西川氏の銀行時代を振り返ってみると、まさしくリアル半沢直樹ではないかと思えてくるわけなのです。半沢直樹の取引先債権管理に奔走し次々と案件を強力なリーダーシップと交渉力、時にはあらゆる人脈を駆使してウルトラCをいとも簡単に現実のものとしてしまう行動力。時には組織のトップに退任さえも迫る無頼漢かと思わせるような一面もありながら、取引先や仲間の幸せを第一に思う人情味あふれる面も併せ持っている。ドラマのシーンがまんま、西川氏のバンカー人生の中に存在していたと言っても過言ではありません。
そしてさらに、氏のビジネスマンとしての晩年には政治圧力との闘いも...。
西川氏は2005年、三井住友銀行の赤字転落の責任をとって退任。しかし、わずか半年のブランクで、民営化して新たな船出を迎えていた日本郵政の初代社長のイスに座るという、当時の常識では考えられないセカンドライフに転じます。
全銀協会長職を務め民間銀行のトップ・オブ・トップのポジションにいた西川氏が、銀行時代に「民業圧迫」と非難をはばからなかった宿敵、郵便貯金を扱う日本郵政のトップに転じたわけですから、一銀行員から見ればおよそ考えられないというのが私の率直な感想でした。しかしそんな大胆さもまた、「ザ・ラストバンカー」であればこその決断であったと、氏の自伝からは知ることができます、