新型コロナウイルスの感染拡大で、飲食業界は大きな打撃を受けた。展開する店舗のうち、大半の閉店を余儀なくされるチェーン店があり、多くの飲食店が倒産に追い込まれた。
その逆境のなか、個人経営で黒字を続け「飲食業界の奇跡」とまで言われたイタリアンレストランがあった。東京・目黒の「ラッセ」。本書「なぜ星付きシェフの僕がサイゼリヤでバイトするのか? 偏差値37のバカが見つけた必勝法」の著者、村山太一さんがオーナーシェフを務める店だ。
「なぜ星付きシェフの僕がサイゼリヤでバイトするのか? 偏差値37のバカが見つけた必勝法」(村山太一著)飛鳥新社
高校生と一緒に採用募集に応募して就職
「ラッセ」は、村山さんがイタリア修業から帰国した2011年に開店。すぐにミシュラン一つ星を獲得し、以来9年間にわたり星を維持し続けている。そのレストランが、コロナ危機をチャンスに変えられるようなオペレーションができたのは、村山さんが「サイゼリヤ」でアルバイトをしたことによるという。
サイゼリヤで何を学び、どう自分の店に応用してコロナ禍を克服したかを伝えたのが本書だ。
村山さんが、ファミリーレストランの「サイゼリヤ」でアルバイトしているのは、特別なオファーを受けたからではない。高校生らと一緒に採用募集に応募して、面接を経て採用された。
功成り名を遂げた立場になれば、下積みのようなアルバイトの仕事をしようなどとは思わないだろう。そう思えば、本書の村山さんの行動はたいていは規格外だ。本人はそのことを「バカ」だからと述べている。
しかし、村山さんが「バカ」でないことは、イタリアの修業先が世界最高峰とされる伝説の店「ダル・ペスカトーレ」であることや、同店で史上初というシェフ代理を任されオーナーシェフ不在時の約1週間、店を守ったことからも明らかだ。
規格外の行動と持ち前の馬力は、帰国後も発揮されて「ラッセ」を瞬く間に名店に押し上げる。だがその舞台裏は、長時間労働が常態化し、スタッフらとの人間関係は最悪となり、経営状態はギリギリだったという。
「このままじゃヤバイ」。そう危機感を抱いた村山さんは、生産性が高いと評判のサイゼリヤから学べば何かを得られるはずと、一つ星店のオーナーシェフに拘泥せず飛び込んだのである。2017年から、五反田西口店でアルバイトを始めた。