膠着状態に入った日韓経済戦争だが、菅義偉政権の誕生で融和の期待が韓国メディアで高まっている。
ただ、韓国が期待している相手は、菅義偉新首相ではない。自民党の二階俊博幹事長(81)だ。いったいどういうことか。韓国紙で読み解くと――。
紀州東照宮にある日韓の友情を表す戦国武将の石碑
日本と韓国の対立融和の立役者として、二階俊博自民党幹事長にかける期待がいかに高いか――。
中央日報(9月19日付)「韓国と特別な縁と友好を強調した二階幹事長... 菅首相の横で韓国チャネルの可能性」は、「沙也可」(サヤガ=朝鮮語発音)という日本ではほとんど知られていない戦国武将の話から説き起こすのだった。
「和歌山県の観光地・紀州東照宮の境内には壬辰倭乱(編集部注:豊臣秀吉の朝鮮侵略、文禄・慶長の役)当時、侵略軍として朝鮮に赴き、その後朝鮮方についた倭軍将帥・沙也可(朝鮮名・金忠善=キム・チュンソン)を賛える碑石がある。沙也可は1592年4月、加藤清正の命令で兵士3000人を率いて釜山(プサン)に上陸したが、朝鮮侵略が『大義のない戦』であることを悟り、朝鮮に投降して余生を金忠善として生きた」
「沙也可」は朝鮮軍に投降すると、火縄銃の技術を伝えて日本軍との戦いの先頭にたって活躍した。韓国では現在も英雄の一人だ。しかし、日本側の史料では加藤清正軍に「沙也可」という人物に該当する名前は見当たらず、実在したのかどうか謎の人物だ。司馬遼太郎は「街道をゆく」の『韓のくに紀行』の中で、「サヤガ」は「サエモン」(左衛門)、あるいは「サイカ」(雑賀)からきているのではないか、と推理を働かせている。
それはともかく、和歌山市にある紀州東照宮の境内に「沙也可」の石碑が立っている。紀州徳川家の初代・徳川頼宣の正室に加藤清正の娘が嫁いだ縁ともいわれる。中央日報が、こう続ける。
「2009年に立てられたこの石碑には『日韓の真の友情のために』という題名が刻まれている。両国の平和を祈った沙也可を象徴とし、韓日間の真の友好を図ろうという内容だ。この碑文を書いたのがこの地域を選挙地盤とする二階俊博幹事長だ。菅義偉内閣が発足し、老政客・二階氏の存在感が増している。安倍首相が辞任を発表するや菅氏を次の首相候補として目をつけ、首相の座に座らせた一番の貢献者だからだ。日本権力の中心が『安倍-麻生』から『菅-二階』に移動したという見方も出ている」
日本権力の中心が「安倍-麻生」から「菅-二階」に移った
いまや菅首相のバックにいる二階氏が日本権力の中心にいるというわけだ。そして、中央日報は二階氏がいかに「親韓・知韓派」の政治家かであるかを説明し、「二階氏の役割が活発になれば冷却一路だった韓日関係に新たな糸口が見つかるだろう」と期待するのだった。
「二階氏が初めて韓国と縁を結んだのは1980年代初期だ。和歌山県議員として地域の高校ホッケーチームを率いて訪韓し、親善試合を行った。言葉が通じない中でも生徒たちがすぐに仲良くなる様子を見て、民間交流の重要性に気づいた。その後、旅行企業が集まった全国旅行業協会の会長を務め、韓国・中国との民間交流の先頭に立った。2015年には1400人の訪問団を率いて韓国を訪れた。文在寅(ムン・ジェイン)大統領就任直後には特使としても訪韓、2018年には自身の派閥議員全員を韓国に連れて来て研修を行った」
というほどの韓国への入れ込みだった。
この間、多くの韓国の政財界人と人脈を築いた。特に、文大統領の側近中の側近、朴智元(パク・チウォン)国家情報院長とは20年間以上にわたる「義兄弟」のような関係だという。国家情報院は大統領直属の情報機関で、かつてはKCIA(韓国中央情報部)と呼ばれた部署だ。そこのトップと「義兄弟」だという。また、文政権の与党「共に民主党」の李洛淵(イ・ナギョン)代表とも数回にわたり個別に面談をする仲だ。
J-CASTニュース会社ウォッチ編集部では、日韓の対立が深まった昨年(2019年)以降も、アンチ韓国に傾く日本の政界をよそに、独自の「日韓融和」を貫こうとする二階幹事長の動向を報じてきた。
テレビ番組で「我々はもっと大人になって、韓国に譲れるところは譲ろう」と語って韓国で大評判になった、2019年10月1日付の「【日韓経済戦争】二階幹事長の発言『韓国に譲ろう』 日本ではベタ記事、韓国紙は1面トップの大騒ぎ」や、1200人もの韓国訪問団計画をぶち上げた、2020年1月17日付の「【日韓経済戦争】二階幹事長の『1200人訪韓計画』 日韓双方から『YOUは何しに韓国へ?』と猛批判を浴びるワケ」などだ。
もし「1200人訪韓計画」が実現していれば、日韓関係に大きな影響を与えたかもしれないが、結局、新型コロナの感染拡大もあり頓挫した。
(福田和郎)