【日韓経済戦争】菅内閣の目玉政策「デジタル庁」に韓国紙が「IT後進国が何を今さら」「我が国より25年遅れた!」と嘲笑

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   菅義偉政権の目玉政策の一つである「デジタル庁の新設」が韓国メディアの嘲笑にあっている。

「韓国では25年も前に始めていたことを、IT後進国の日本がやっと今、始めようとしているのか!」

と大いに留飲を下げているのだ。

   背景には「電子政府」世界2位のデジタル先進国である韓国の自負と、「ニッポンなにするものぞ」といったプライドが透けて見える。韓国紙で読み解くと――。

  • 「デジタル庁」新設に執念を燃やす菅義偉首相
    「デジタル庁」新設に執念を燃やす菅義偉首相
  • 「デジタル庁」新設に執念を燃やす菅義偉首相

日本のバブル崩壊期に韓国はデジタル化スタート

   「菅氏『デジタル庁新設』... 韓国情報通信部より25年遅れた」という小気味の良い見出しで、菅首相の目玉政策を揶揄するのは、中央日報(2020年9月22日付)の記事だ。日本よりはるかに先にスタートした韓国のデジタル政策の歴史をこう振り返っている。

「韓国は金泳三(キム・ヨンサム)政府だった1994年12月に情報通信部(=情報通信省、編集部注:韓国政府の『部』は『省』を表す)を発足させた。従来の逓信部を改編して国家社会情報化政策の樹立や超高速情報通信網の構築、通信事業者育成などの業務を担当した。一歩先のデジタル転換を成し遂げた韓国と違い、日本は2次産業中心の既存システムに安住した。
韓国経済産業研究院のキム・グァンソク経済研究室長は『1990年代末から2000年代初期のデジタル転換は、韓国が経済大国日本に追いつくことができる決定的契機だった』と説明した」

   1994年といえば、日本では1991年から93年にかけてバブルが崩壊、1994年前半まで景気のどん底状態が続いた。「失われた20年」の始まりだ。経済と政治が大混乱に陥って自民党が分裂、新党が乱立したあげく、自社さ連立の村山富市政権が誕生した(1994年6月)。企業の倒産が相次ぎ、失業者の救済が最優先課題となったためデジタル化への転換どころではなかっただろう。

   一方、韓国ではデジタル化が着々と進んだ。2008年には、この情報通信部に日本でいえば旧・科学技術庁に相当する「科学技術処」を丸ごと合併。また、日本でいえば経済産業省の中にある情報通信政策部門を吸収。さらに文部科学省の中にある科学教育部門と同省管轄下の国立研究所をすべて統合した「科学技術情報通信部(省)」が誕生した。

   菅政権が実現に取り組む「デジタル庁」は、各省庁でバラバラのデジタル部門を、いわば「串刺し」にして縦割り行政の打破を目指すセクションだ。しかし、韓国の科学技術情報通信部は、デジタル庁などとは比べものにならないくらいスケールが大きい。インターネットやソフトウェアなどデジタル部門を中心に据えながら、原子力開発や宇宙研究、生命科学、情報通信放送技術など科学分野のすべてを網羅する。

   国内と海外を結ぶネットワークの構築だけでなく、小学校からのデジタル教育を含む科学教育全般まで管轄する。また、企業のデジタル人材の育成や、ベンチャー企業の支援も行っている。

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