「たった一滴の涙で支持率倍増とは!」......。コロナ禍での対策をめぐり低迷していた安倍晋三首相の支持率が「涙の会見」を行った途端に急上昇したと、韓国メディアがショックを受けている。
「恨(ハン)=うらみ」を文化とする韓国人には謎のようで、
「日本人は、なぜお涙頂戴にもろいのか。なぜ、こうも簡単に手のひらを返したように政治家の評価を変えられるのか?」
といった日本人論まで登場するありさまだ。韓国紙で読み解くと――。
日本人記者「安倍首相の会見では最高だった。余韻が多く残った」
韓国メディアにとって朝日新聞は、「嫌韓極右メディア」と評されることが多い産経新聞とは対照的に、「アンチ安倍」の立場と見られてきたメディアだ。それだけに、安倍晋三首相の辞任後に同紙が行った世論調査を伝える記事(2020年9月4日付)にはショックを受けた韓国紙が多かった。
「本社世論調査 安倍政権を『評価』71% 次の首相ふさわしいのは菅氏38%、石破氏25%、岸田氏5%」という内容だったからだ。
韓国の主要紙の多くが大きく取り上げた。朝鮮日報(9月5日付)は「安倍首相、一粒の涙で支持率が2倍に 日本国民の71%『安倍首相はよくやった』菅氏も3%から38%に」という見出しで、こう驚いている。
「辞任する安倍首相と、後任に有力視される菅義偉官房長官の支持率が同時に上昇している。朝日新聞の世論調査によると、7年8か月にわたり在任した安倍首相の評価を問う質問に、17%が『かなりよくやった』、54%が『よくやった』と回答した。71%が肯定的な評価を行ったのだ。安倍首相はコロナ事態での失策などで最近は支持率が30%台にまで下がっていた」
「菅氏の支持率も急速に上昇した。次期首相として適切な人物を尋ねる調査でも菅氏は38%で1位となった。今年6月の同じ調査ではわずか3%だった。日本の首相が辞任を発表した直後、後任として有力な人物と共に支持率が上昇するのは珍しい。安倍首相が健康問題で辞任会見を行ったことで、同情世論が広がったことが主な理由とされている」
朝鮮日報は、安倍首相が記者会見で見せた「涙」に対して、日本の記者団が見せた同情の様子を、皮肉を込めてこう伝えている。
「安倍首相は会見で、『国民の皆様に心から感謝したい』と頭を下げた時、目に涙を浮かべた。首相官邸担当のある日本人記者は『私が見てきた安倍首相の会見の中では最高だった。自らの考えと感情を率直に表現していて、多くの余韻が残った』と感想を語った。会見後、『安倍首相はかわいそう』との書き込みがSNSで一気に増え始めた。有名な歌手の松任谷由実さんがラジオ番組で『安倍首相の記者会見を見て涙が出た』と述べたことも大きな話題になった」
「同情世論が広まったことで、逆に野党が追い込まれている。一部の野党議員は『重大な時期に体を壊すのは、危機管理能力がないということだ』と非難した。が、『体調が悪い首相にそこまで言うか』との批判を受けた。立憲民主党は国民民主党の一部と合併し、近く新党が発足する予定だが、朝日新聞の世論調査では支持率が3%に下がった。前回の調査(5%)よりも2ポイント低い数値だ」
松任谷由実さんの発言とは、安倍首相が辞任会見をした8月28日深夜のニッポン放送「松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD」で、こう語ったことを指す。
「テレビで見て、切なくて泣いちゃった。同い年だし、私の中ではプライベートでは同じ価値観を共有できる。ロマンのあり方も同じ。辞任されるから言えるけど、ご夫妻とは仲良し。もっと自由にご飯に行ったりできるかな」
などと労ったのだった。この発言が、SNS上で「アンチ安倍」の政治学者らから中傷を受ける騒ぎに発展した。
女子駅伝の四つん這い事件とコロナが日本人を変えた?
韓国人は「恨(ハン)の民族」といわれる。「恨」とは感情的なしこりや、痛恨、悲哀、無常観をさす言葉で、朝鮮文化や思想ではすべての根幹になっている概念だという。そんな韓国人にとって、お涙ひとつで過去を水に流し、安倍首相の支持率が一気に上がる日本は理解しがたいようだ。
いくつかの「日本人論」が韓国メディアに登場したが、「コロナによって日本人の働き方に対する考え方が変わったからだ」という視点を提供した朝鮮日報のコラムが興味深いので紹介したい。
朝鮮日報(9月3日付)「記者手帳:180度変わった安倍首相の辞任記者会見」で、イ・ヒョンスン記者は、安倍首相は13年前にも突然の辞任会見を行ったが、今回の辞任会見との違いをまず、こう述べている。
「安倍首相は13年前にも(持病による)突然の辞任宣言で日本中を驚かせた。日本メディアは『甘やかされて育ったお坊ちゃまの逃亡』といった刺激的な解説記事を載せたが、今回は安倍首相を拍手で慰労した。過去8年間で安倍首相が挙げた成果と批判された点、次期内閣の課題を冷静に分析する記事を書いた。これは、コロナのおかげで、日本が健康問題で辞める人たちを理解して抱擁する社会へと変貌し始めているからだ」
と、イ・ヒョンスン記者は指摘する。
そして、日本社会に根付いてきた病人に対する冷たさと精神主義を、
「健康問題で辞めることに対して、日本人はとりわけ眉をひそめる。個人的な理由で集団に迷惑をかける行為を極度に警戒するうえ、体力を精神力と関連付けて考える。第2次世界大戦当時、物理的に西欧に対抗することができなかった日本は、『精神が物質に優先する』という論理で国民の士気を高めた。そのような思考が現在も心の奥深くに残っている。おかげで『体調が悪かったら休め』という日本政府の新型コロナの指針は国民に浸透しなかった。病気になると遠慮せずに休暇を取得する西欧の会社員とは異なり、日本人は風邪の症状程度では休まなかった。結局、多くの人がウイルスを他人にうつしてしまった」
と、述べている。
そんな日本人の「精神主義」を変えるきっかけになった事件が、2018年10月に福岡で行われた女子駅伝のレースだったという。19歳の女子選手が片足を骨折して走れなくなったにもかかわらず、300メートルも四つん這いになりながら次の選手にたすきを渡した。路面上に血が点々としたたる映像が全世界に流れて衝撃を与えた。美談か愚挙か、大激論になった。
韓国でも日本でも「負傷闘魂」の時代は終わった
イ・ヒョンスン記者は、こう続ける。
「日本文化を長く研究している韓国の学者たちは、この事件が日本で物議を醸(かも)した点に注目した。日本が長く肯定してきた『負傷闘魂』に違和感を覚え、変化を求める声が高まっているシグナルだからだ。『負傷闘魂』は韓国でも賞賛されてきた言葉だが、もはや消滅しなければならない時代になった」
「負傷闘魂」とは、韓国語独特の表現で、日本語でいえば「スポ根」といったイメージだが、もっと強烈だ。
現在も新聞スポーツ面では、バスケット選手が足裏に深刻な「足低筋膜炎」を抱えているのに試合に出るケースなどで、「選手の寿命を減らす『負傷闘魂』問題」などの見出しで頻繁に登場する。
なかには、芸能人のこんな仰天記事もある。
「俳優ホ・ジュノが顎(あご)の骨がはずれる負傷にもかかわらず、『負傷闘魂』の燃える芝居魂を発揮して話題だ。ホ・ジュノは20対1の格闘シーンの途中、鉄門に頭を強くぶつけて傷を負った。制作陣は代役を勧めたが、ホ・ジュノは頑として拒否。自ら激しいアクションシーンを完璧にこなした。しかし、立て続けに武術俳優に顎を殴られたホ・ジュノは、顎の骨が外れるケガを負い、病院に移送された。ところが、病院で簡単な治療を受けるや否や、絶対安静という医師の診断にもかかわらず撮影現場に復帰、残りの格闘シーンを全部終えて制作陣を驚かせた」(WowKorea2005年7月13日付)
韓国ではこのくらいやってこそ「負傷闘魂」というらしい。しかし、イ・ヒョンスン記者は、コロナ禍によって韓国でも日本でも「負傷闘魂」の時代は終わった、日本人は自分たちの首相に「負傷闘魂」を強いることの愚かさにようやく気がついたとして、こう結ぶのだった。
「『負傷闘魂』はもはや消滅しなければならない時代になった。集団の成功のために個人の犠牲を推奨する社会は健全にはなり得ないからだ。体に問題があれば休まなければならない。背負っているものが重ければ重いほど、休むべきだ。少数の業務空白が組織運営にとって深刻な問題となるならば、業務と責任が非効率的に配分されていると考えるべきだ。働く人を追い込むのではなく、人員を再配置すべきだ。これが、13年前と180度変わった安倍首相の辞任記者会見が我々に与える教訓だ」
(福田和郎)