韓国でも日本でも「負傷闘魂」の時代は終わった
イ・ヒョンスン記者は、こう続ける。
「日本文化を長く研究している韓国の学者たちは、この事件が日本で物議を醸(かも)した点に注目した。日本が長く肯定してきた『負傷闘魂』に違和感を覚え、変化を求める声が高まっているシグナルだからだ。『負傷闘魂』は韓国でも賞賛されてきた言葉だが、もはや消滅しなければならない時代になった」
「負傷闘魂」とは、韓国語独特の表現で、日本語でいえば「スポ根」といったイメージだが、もっと強烈だ。
現在も新聞スポーツ面では、バスケット選手が足裏に深刻な「足低筋膜炎」を抱えているのに試合に出るケースなどで、「選手の寿命を減らす『負傷闘魂』問題」などの見出しで頻繁に登場する。
なかには、芸能人のこんな仰天記事もある。
「俳優ホ・ジュノが顎(あご)の骨がはずれる負傷にもかかわらず、『負傷闘魂』の燃える芝居魂を発揮して話題だ。ホ・ジュノは20対1の格闘シーンの途中、鉄門に頭を強くぶつけて傷を負った。制作陣は代役を勧めたが、ホ・ジュノは頑として拒否。自ら激しいアクションシーンを完璧にこなした。しかし、立て続けに武術俳優に顎を殴られたホ・ジュノは、顎の骨が外れるケガを負い、病院に移送された。ところが、病院で簡単な治療を受けるや否や、絶対安静という医師の診断にもかかわらず撮影現場に復帰、残りの格闘シーンを全部終えて制作陣を驚かせた」(WowKorea2005年7月13日付)
韓国ではこのくらいやってこそ「負傷闘魂」というらしい。しかし、イ・ヒョンスン記者は、コロナ禍によって韓国でも日本でも「負傷闘魂」の時代は終わった、日本人は自分たちの首相に「負傷闘魂」を強いることの愚かさにようやく気がついたとして、こう結ぶのだった。
「『負傷闘魂』はもはや消滅しなければならない時代になった。集団の成功のために個人の犠牲を推奨する社会は健全にはなり得ないからだ。体に問題があれば休まなければならない。背負っているものが重ければ重いほど、休むべきだ。少数の業務空白が組織運営にとって深刻な問題となるならば、業務と責任が非効率的に配分されていると考えるべきだ。働く人を追い込むのではなく、人員を再配置すべきだ。これが、13年前と180度変わった安倍首相の辞任記者会見が我々に与える教訓だ」
(福田和郎)