コロナ禍は「最悪」ではない 今の日本は「強い薬」の副作用で体力を消耗した患者のようだ(1)(小田切尚登)

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   この世には、ごくたまに破壊的な事象が起きる。

   我々の想定の範囲を大きく超える天災や疫病、戦争、テロなどだ。このような事象を、我々は予測することはできない。突然の出来事の発生で甚大な被害が発生し、この世の終わりを感じさせるような悲惨な状況が現れる。

   このような出来事のことを「ブラックスワン」と呼ぶ。これはナシーム・タレブの同名の著書によって有名になった。

  • 新型コロナウイルスの「感染第2波」が日本を襲う
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20世紀最大の「ブラックスワン」第2次世界大戦

   日本で20世紀以降に起きたブラックスワンは何か――。最大の出来事が1941年から45年の第2次世界大戦であったことは疑問の余地がない。310万人の日本人が亡くなり、日本という国の成り立ちが根底からひっくり返った。

   これを別格とすると、それに次ぐものと言えば、次の3つになるであろう。

(1)1918年のスペイン風邪の流行(インフルエンザの一種)。これにより日本で約40万人が亡くなった。
(2)1923年の関東大震災の発生。首都圏が壊滅的な被害を受け、10万人以上が亡くなった。
(3)1929年の世界大恐慌によって日本経済も大打撃を受けた。それにより1930年代には年間の自殺者数が数千人の単位で増加した。

   戦後も我々はさまざまな天災や経済危機を経験したが、これらの3つに比べると深刻さの程度は高くなかったと言ってよいだろう。今の日本人の大半は、本当の意味でのブラックスワンを体験したことがないということだ(念のため付言しておくが、どんな事件でも当事者にとっては同じように深刻な話であるが、ここでは主に死者数を基準にした国家レベルでのマクロ的な影響について議論している。被害を矮小化しようとしているわけでは決してない)。

   ブラックスワンの状態では、政府は一刻の猶予も許されない。中長期的な展望を犠牲にしても、目の前で被害を受けている人の命を守ることが何より優先される。タイタニック号に乗っている人は、船が沈まないようにするためだったら、カネなどいくらでも払う。なりふり構ってなどいられない。まさに緊急事態である。

   新型コロナウイルスの感染拡大による被害の深刻度は、それらと比べてどうであろうか? すでに死者は1000人を超えたが、それだけであれば、1918年のスペイン風邪はおろか、57年のアジア風邪(7000人以上が亡くなった)などに比べても多くはない。新型コロナによる海外の死者を見ると、米国で15万人以上、ヨーロッパ諸国でも軒並み数万人が亡くなっているが、それらと比べて我が国における感染による被害は今のところ小さく抑えられている。

   よく言われるように、例年インフルエンザなどで亡くなる人のほうが多いし、今の季節であれば夏に毎年千人以上が亡くなる熱中症の被害のほうがより深刻であろう。

コロナ禍は「数年に一度」レベルの問題

新型コロナウイルス、日本は抑えているほう?(国立感染症研究所提供)
新型コロナウイルス、日本は抑えているほう?(国立感染症研究所提供)

   コロナに関しての注意を怠って良いわけではもちろんないが、対処すると言っても、これといった治療法も有効なワクチンもない状況では、我々にできることは限られる。人々を隔離することは問題の先送りに過ぎないし、半永久的に隔離を続けることは不可能である。

   オーストラリアでは一時は隔離政策が成功したと言われてきたが、このところ一日の死者が10人を超えており、人口が5倍いて密集の度合いも高い日本よりも厳しい状況となってしまった。

   我々としては、いずれは感染するかもしれないことを前提に、ウイルスとの平和的共存を目指すしかないだろう。そのためには手洗いの励行や「3密」を避けることによって、医療崩壊につながるような急激な蔓延を防ぐ、ということくらいしか方法がないのではないか。

   現実的な意味でのベスト・シナリオは、リスクの高い高齢者や持病を持つ人を隔離しつつ、管理可能な速度でゆっくり感染者が広がっていき、冬までには集団免疫を獲得する、というものだろう。

   いま日本で起きていることは、数年に一度くらいは起きるような、そういうレベルの問題である。国民の99%は直接的な健康被害を受けることはなく、事態は収束していくだろう。

   ただ、これを短期戦として戦ってはいけない。ほとんどの人には将来に長い人生が待っているわけで、目先の問題解決のために将来の生活を犠牲にするわけにはいかない。戦争のように「カネや資源を極限まで使い切っても、とにかく勝たねば」などというようなやり方はとるべきではない。

   平時においては、政府は多くの国民が幸せな人生を送れるようにするための政策を取ることを目的にすべきであり、目先の死者を一人でも減らすことを最重要に考えるというのは誤った問題設定である。

   たとえば、交通事故で年に3000人以上が亡くなっている。自動車の速度制限を今の半分にしたら多くの人の命が救われると思うが、だからといって高速道路でも時速50キロメートル以上はダメ、といったことには決してしないだろう。

   あるいは中学・高校で行なわれる柔道によって、毎年のように死亡事故が起きている。柔道以外のラグビーや剣道、陸上などのスポーツでも死亡事故は起きる可能性がある。しかし、だからといって学校でそういうスポーツを止めさせるとか制限するということにはならない。学校で生徒がスポーツを体験することは極めて大事であり、その価値は稀にしか起きない死亡事故によるマイナスを上回る、という考えがその背景にある。(小田切尚登)

小田切 尚登(おだぎり・なおと)
小田切 尚登(おだぎり・なおと)
経済アナリスト
東京大学法学部卒業。バンク・オブ・アメリカ、BNPパリバなど大手外資系金融機関4社で勤務した後に独立。現在、明治大学大学院兼任講師(担当は金融論とコミュニケーション)。ハーン銀行(モンゴル)独立取締役。経済誌に定期的に寄稿するほか、CNBCやBloombergTVなどの海外メディアへの出演も多数。音楽スペースのシンフォニー・サロン(門前仲町)を主宰し、ピアニストとしても活躍する。1957年生まれ。
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