本書はベストセラー作家、精神科医・樺沢紫苑さんによる現代心理分析本です。「スター・ウォーズ」「ONE PIECE」から「鬼滅の刃」まで、アニメ・映画を題材にして現代社会を解き明かした作品。アニメと映画作品を、父性を軸にさまざまな角度で切り込んだ論考は、興味深いものでした。
「父滅の刃 ~ 消えた父親はどこへ」(樺沢紫苑著)みらいパブリッシング
漫画「ONE PIECE」がブームになる理由
漫画「ONE PIECE」は単行本で2億冊を突破するという前人未到の記録を打ち立て、コミックのみならずテレビアニメ、劇場版アニメ、「ONE PIECE展」の開催。さらに、コンビニなどでのグッズ販売など、至るところでキャラクターを目にするようになりました。
とくに2010年頃から、異常な盛り上がりを見せているのは、どうしてなのでしょうか?著者の樺沢紫苑さんは、
「大ブームが起きるのには、理由があります。おもしろい漫画、小説、映画はたくさんありますが、一時的に盛り上がることはあっても、 大ブームというほどには広がりません。一部の特定のファンに支持される作品はたくさんありますが、全国民的に支持されるには、『大衆』のニーズ、つまり多くの人達に共感される普遍的な『何か』に触れなくてはいけません」
と、解説します。
「大ブームを考察することで、現代の日本人のメンタリティが見えてくるはずです。『ONE PIECE』は、かつてこの世のすべてを手に入れた海賊王ゴールド・ロジャーが遣した『ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)』をめぐり、幾多の海賊たちが覇権を賭けて争う大海賊時代。ルフィが、海賊王を目指して仲間と共に冒険と戦いを繰り広げていく物語にワクワクする何かを感じます」
そう樺沢さんは話します。
本当に一人二役なのか?
「海賊とは父性の象徴ではないか」――。樺沢さんは、15年以上前からずうっと考えていたそうです。
海賊の持つ、力強さ、たくましさ、法の外で自由で振舞う自主性。「海の男」という言葉があるように、海賊が「男性的」「父性的」なものを象徴しているであろうことは、誰にも感覚的に理解できます。そして、ある瞬間からそれは確信に変わっていきます。
「米国で演劇『ピーター・パン』を見た時のことです。これは、少女ウェンディが現実世界から『ネバーランド』に行き、ピーター・パンと一緒にフック船長と戦い、冒険する物語です。フック船長の登場シーン。私はアッと思いました。ウェンディの父親、ジョージ・ダーリング氏を演じていた俳優が、フック船長を演じていたのです。父親とフック船長は一人二役でした」
と、樺沢さんは言います。
「なぜフック船長とウェンディの父親は、同じ俳優によって演じられているのか? それは海賊が父性の象徴だからです。物語はウェンディの主観で展開します。彼女にとっての父親(=父性)イメージが、海賊の頭領であるフック船長に投影されているのです」
そう、指摘するのです。
樺沢さんは
「2003年に製作された映画『ピーター・パン』(P.Jホーガン監督)。この中で、ジェイソン・アイザックスが、フック船長とウェンディの父親の二役を演じていました。日本では榊原郁恵主演のミュージカルが有名ですが、初演では、金田龍之介がフック船長と父親を一人二役で演じ、その後も川崎麻世、古田新太、鶴見辰吾などが、二役を演じています。2012年版は、ピーター・パンは高畑充希。フック船長役は武田真治ですが、やはり一人二役です」
と、指摘します。
「1924年の映画版で、別の俳優が演じていた、という例外のケースがあったものの、多くの場合、フック船長と父親は伝統的に一人が二役で演じるという「お約束」があるのです。フック船長とウェンディの父ダーリング氏は一人が二役を演じることが多い。それは、フック船長が、父親的イメージを持っていなければならないからです」
かつての日本には昭和という「父性」の強い時代がありました。平成、令和へと移りゆくなかで、「父性」に求められる用件は変化してきています。
ぜひ、みなさまの知的好奇心で、この本を最後まで読み込んでください(総ページ数420ページなので大変かも知れませんが)。樺沢さんの思考を追体験することで得られる貴重な学びがあるはずです。(尾藤克之)