チャレンジ精神を可能にした忌憚ないコミュニケーション
満を持して発売したマウンテンバイクは、1980年代にアメリカから火が付いた一大ブームに乗って世界を席巻することになります。一流競技選手たちが、こぞってシマノ製のレース用機材を使いレースで優勝するなどの成果をあげてくれたことで、同社のブランドイメージは一気に高まったのです。
こうしてシマノブランドの浸透とともに、自転車ばかりではなく釣り具用品も共に世界へと市場を拡大し、喜三氏が社長に就任した頃には、彼が新たなマーケットを求めて日本を飛び出した時に比べ、売り上げは40倍以上にもなっていたのです。
以上が、故島野喜三会長の主な足跡です。
氏の功績を根底で支えたものは、知らぬ他国をも恐れず、前例のない新製品づくりにも怯まず、まずはやってみようというチャレンジ精神。それを可能にしたのは、故障やクレームにこそ、商売ネタがあるというビジネス観と、そこに自ら飛び込んで生の声を聞き次なる商売に活かす徹底した現場主義。そして常に創業の精神を大切にし、「和して、厳しく」を浸透させどんな時でも忌憚ないコミュニケーションと不屈の精神を失わない姿勢を貫いたこと。それらが、一介の自転車屋稼業という主婦や学生の生活密着型の至って地味なビジネスを、「世界のシマノ」にまで押し上げた経営の秘訣であったのだと思います。
多くの企業がコロナ危機に苦しむ今こそ、ヒントになる知恵があふれているのではないでしょうか。
故島野喜三会長のご冥福を、心よりお祈り申しあげます。(大関暁夫)