吉田CEOの「祖業」への思い コロナ禍の中でソニーが社名を変更したワケ(大関暁夫)

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ソニーの多角化経営は会社発展の原点そのもの

   このような背景を心得たうえで、ソニーの吉田CEOの社名変更に関する会見内容やインタビュー記事を読んでみると、新たな気づきが与えられました。

   まず、社名変更の本来的理由である持ち株会社化について、吉田CEOはその理由を「多岐にわたる事業をまとめていく会社としてソニーを再定義する必要がある」として、2000年代前半にグループの非中核事業と位置づけ分離上場させた保険、銀行業務を担う金融部門、ソニーフィナンシャルホールディングス(SFH)を持ち株会社の傘下に戻すことが「目玉」となっています。

   ソニーが事業の多角化を重視することについては、63年前に創業時の東京通信工業からソニーへの社名変更時に、「我々が世界に伸びるためにあえてエレキのイメージを社名から排除した」という創業者のひとり盛田昭夫氏の証言が残っているように、まさにソニーの発展の原点そのものなのです。

   技術開発重視への回帰という点もまた、吉田ソニーの大きな方針のひとつになっています。90年代後半ソニーが世界戦略を進める過程において執行役員制度や委員会制度などを国内他社に先行する形で導入し経営イメージ重視の戦略に移行する中で、「技術のソニー」を社内で支えていたソニー中央研究所が密かに廃止されたという事件がありました。技術開発をお座なりにしたことの象徴的出来事です。

   一般に「ソニーの失われた20年」と言われる長期低迷時代は、この技術軽視の時代に始まったのです。吉田CEOは、ソニーの長い冬に終わりを告げるべく、これまでに犬型ロボットAIBOに代表されるロボット研究の再開や全自動運転EV車の開発など、目先のビジネスとは無関係な技術開発にも注力し、「ソニーらしさ」を取り戻すべく「技術のソニー」復権に向け動き出したのです。

   初見ではブランドの毀損であるかのように思えたソニーの社名変更ですが、このようにその背景を探ってみると、吉田CEOが社名変更を決断した最大の理由は、経営の原点回帰に他ならなかったことが判りました。

大関暁夫(おおぜき・あけお)
スタジオ02代表。銀行支店長、上場ベンチャー企業役員などを歴任。企業コンサルティングと事業オーナー(複合ランドリービジネス、外食産業“青山カレー工房”“熊谷かれーぱん”)の二足の草鞋で多忙な日々を過ごす。近著に「できる人だけが知っている仕事のコツと法則51」(エレファントブックス)。連載執筆にあたり経営者から若手に至るまで、仕事の悩みを募集中。趣味は70年代洋楽と中央競馬。ブログ「熊谷の社長日記」はBLOGOSにも掲載中。
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