「かぎりなく自由」に暮らす
この都会に戻った人たちと違って、山奥での暮らしは続けたいが、「たとえテレワークであっても、会社に勤めるのはもうこりごり」などという場合はどうすればよいか――。
本書の舞台の元小学校の施設に住む人たちは「なるべく働かずに生きていく」ことを実践している。生活費は月に1万8000円を施設側に納め、これで食費、光熱費はOK。家賃はいらない。入所者の主な収入源は梅の収穫などの報酬、集落の高齢者住人の手伝いをしてもらえる小遣いだ。
こうしたこと以外、仕事らしい仕事はしていない。やっていることは、アニメをみることだったり、ゲームだったり、SNSだったりと、都会でひきこもりをしていたころと変わらないという。
著者の場合は「ただ、ひきこもる範囲は自分の部屋から、この集落に広がった」そうで「かぎりなく自由」を感じている。山奥での暮らしは続けたいと感じる人の、その理由はこの「自由」に違いない。
都会の引きこもり時代は、「居場所がない」と引きこもっていた著者だが、この山奥の集落では「地域の爺さん婆さんに出会うと、あいさつするだけでいつも喜んでくれる」。そして「僕に『いてくれてよかった』とさえ言ってくれる」のだ。
自らの存在をこの言葉で実感でき、頼りにされていることがうれしい。
著者はまた、ここで暮らして必要に迫られ軽トラを運転するようになり、ペーパードライバーだったにもかかわらず、マニュアル車を操り山道をスイスイ移動できるようにもなった。細い道で対向車に合い、譲るべきは相手なのだが、自分のほうから渋々バックして道を譲り、お礼のクラクションに途端に気を取り直して顔がほころぶ......。
夜には自分の手足も見えぬほどの漆黒の闇に包まれるという山奥の集落で、引きこもりの人たちはイキイキとし、「できること」を増やしていく。そのプロセスに読む側もなにやらウキウキした感じにもなる。
自分がするかしないか、できるかできないかにかかわらず、コロナ禍を経験した都会の人にとっては、「山奥ニート」の暮らしぶりは、「新しい生活」の選択肢がさまざまあることを教えてくれるはず。
「『山奥ニート』やってます」
石井あらた著
光文社
税別1500円