【襲来!新型コロナウイルス】「もう無理なのに、そこまでして開きたい?」簡素化で東京五輪開催を目論む安倍首相と小池都知事にネット民が総スカン

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   新型コロナウイルスの感染拡大のため1年延期されている東京五輪・パラリンピック。世界的にコロナの猛威が収まらないため、中止もやむを得ないのではないかと思われていたなか、にわかに開催強行の動きが急浮上した。

   政府と東京都が感染予防のため、運営方法を大幅に「簡素化」して見直す案を検討しているというのだ。そこには、何が何でも開催したいという思惑と執念が浮かび上がるが、果たして国民の理解は得られるのか?

   主要紙とスポーツ各紙の論調とネットの声を拾うと――。

  • 東京五輪・パラリンピックは開催できるのか?(写真はイメージ)
    東京五輪・パラリンピックは開催できるのか?(写真はイメージ)
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選手や観客すべてにPCR検査ってできるの?

   2020年6月4日、「東京五輪開催」に向け、あわただしい動きが起こった。まず、大会組織委員会の森喜朗会長が夕方、都内で東京都の小池百合子知事と会談、「目に見える形で合理化を進める方針」で一致した。夜には組織委の武藤敏郎事務総長が記者団の取材に応じ、感染予防のために観客にまでPCR検査を行うなど、感染予防と簡素化に関する論点整理のタタキ台の案があることを明かし、

「(250から300もの項目を)議論しなければならない。簡単ではない。まだ何も決まっていない。PCR検査は組織委(の予算)ではできない」

と述べたのだった。いずれにしろ、今秋以降に細かい点を詰めるという。

   具体的には、どのように簡素化するのだろうか。読売新聞が「東京五輪・パラリンピックの簡素化に向けた論点整理の原案」をスクープしており、その概略を「五輪・パラ論点整理原案要旨」で紹介している。それによると、主な内容はこうだ。

【大会運営上の対策】
(1)開閉会式=参加者の絞り込み。入場行進の省略あるいは簡素化。芸術パートの時間短縮。関連レセプションの中止あるいは縮小。
(2)選手村=外部から隔離。選手の外出自粛。入村期間の短縮化。
(3)競技会場=ロッカーやシャワーの利用ルール策定、消毒。
(4)観客対策=無観客あるいは人数の絞り込み。選手との隔離。
【事前の感染予防・確認】
(1)対象の範囲=観客、選手、監督、コーチ、審判、ボランティア、大会関係者、メディア関係者。公共機関・ホテルの職員。
(2)手法=上記の対象者全員にワクチンの事前接種、事前のウイルス検査(PCR検査、抗原検査)、サーモグラフイーなどによる検温、入場時の手指の消毒を実施。

   選手やコーチらはもちろん、すべての観客にまでPCR検査や抗原検査を行ってもらう(外国人観客は入国前に)というのだから、大変な騒ぎになりそうだ。

   ほかにも競技の大幅な短縮が検討されている。報知新聞「シンプル五輪 コロナ封じ込め+節約 観客も試合数も減」が、こう伝える。

「競技によっては、総当たりのリーグ戦などの方式をトーナメントに変更し、日程を簡略化することも今後議論される」

   具体的には――。

   野球、サッカー、ソフトボール、バレーボール、バスケットボール、ビーチバレのリーグ戦が廃止され、トーナメントのみになる。これで試合数が半分以下に減る。また、競泳など予選、準決勝、決勝と進む競技の準決勝を廃止することも検討されている。

   日本経済新聞「都や組織委検討、感染防止を優先」によると、

(1)選手や大会関係者は入国後2週間隔離する。
(2)観客席の間隔を広く空ける。
(3)このため残り数百万枚あるチケットは売り出さない。

などの対策も検討されている。これでは五輪が盛り上がらないこと必至だ。

「貯金箱」がカラになった小池都知事のお家の事情

都のお財布事情のためにも開催したい小池百合子都知事
都のお財布事情のためにも開催したい小池百合子都知事

   こうまでして五輪を開きたい事情はどこにあるのか――。東京都の台所事情がピンチに陥っているからだと指摘するのは、朝日新聞「コロナ五輪も変える 都『貯金』失い税収も減」という見出しの記事だ。

「小池都知事が簡素化に言及した背景には、厳しさを増す都の財政事情がある。新型コロナの対策費は1兆円超に膨れ上がり、『貯金箱』にあたる財政調整基金は9000億円超の残高をほぼ使い切る見込みだ。景気悪化に伴う税収減は1兆~2兆円に上る可能性がある」

   延期して開く大会の追加費用の数千億円は、ほとんどを開催都市である都が負担する羽目になる。都としては何としても開催して景気浮揚につなげたいという立場なのだ。現状のままの大規模イベントの形では開催は難しい。都幹部の一人は、朝日新聞記者にこう語ったのだった。

「新型コロナで財政が厳しいなか、追加費用をどこまで捻出できるかということもあって、簡素化は納得できる流れ。何も変わらないまま大会を迎えられるとは思っていない」

五輪がたった一つのレガシーになった安倍首相の執念

唯一のレガシーのために開催したい安倍晋三首相
唯一のレガシーのために開催したい安倍晋三首相

   一方、「レガシー」(政治的遺産)にこだわる安倍晋三首相の意向が強く働いたと指摘するのは、東京新聞「東京五輪運営簡素化案 中止回避へ政府異例の関与」という見出しの記事だ。

「東京五輪は安倍政権にとって経済V字回復の生命線。『中止だけは絶対避けたい』(首相周辺)のが本音だ。首相は来年9月に任期が切れる。憲法改正の実現や北方領土問題の解決は遠のき、五輪は達成し得る唯一のレガシー候補。(首相が以前主張していた)『完全な形』の開催にこだわり、中止に追い込まれれば元も子もない」

   そこで恥も外聞も捨てて「簡素化」に打って出たというわけだ。ただ、難題が山積みだ。東京新聞が続ける。

「こうした対応を取るにはIOC(国際オリンピック委員会)や競技団体、選手らの同意が大前提。また、観客を減らす場合もチケット購入者と個別に折衝し、払い戻す膨大な作業が生じる。そもそも有効なワクチンが開発されなければ、各国から選手を受け入れること自体が感染リスクになる」

   この際、オリンピックのあり方自体を見直すべきだと主張するのは朝日新聞のコラム「再考2020 五輪も選手自体も意識革新を」だ。筆者は日本ウェルネススポーツ大学教授の佐伯年詩雄(さえき・としお)さん。佐伯氏はまず、こう書いている。

「(五輪の)延期が安倍首相とIOCのバッハ会長の会談で決まったのは、どう見てもおかしい。最後は首相が決めたかのような見せ方をして、政治ショーにしてしまった。スポーツがいくら政治から自由でいたいといっても、全部吹っ飛んだ形だ」

   なぜ選手を代表する立場のJOC(日本オリンピック委員会)が言い出さなかったのか、とスポーツ界のふがいなさを憤る。だから、コロナ禍によって五輪開催が危ぶまれる事態になっても、国民から「スポーツ界、頑張れ」という声にならないという。スポーツ界は、「コロナ禍の今こそスポーツだ」と自信を持って言えるのか、と問いかける。

「五輪の招致では建前で『平和と友好』というが、誰も一生懸命取り組まない。延期が決まって、まず出てくるのは費用の話だ。要は、せっかくお金をかけているし、経済効果も期待できるからと......」

   そして、各競技団体が世界選手権を個別に開いている現在、五輪の意味はない。五輪をやりたいならアテネを永久開催地として競技数も減らしてやればいい、と主張するのだった。

「もはやオリンピックは終わったコンテンツだ」

主要会場に予定されている新国立競技場
主要会場に予定されている新国立競技場

   にわかに浮上した今回の「五輪シンプル開催」ニュース、ネット上で総スカン状態である。「簡素化、いいねえ。ぜひ開いてほしい」という意見は見つけられなかった。

「『コンパクトな』『復興五輪』『簡素化』。言葉遊びはもうけっこうです。今の日本にオリンピックを待ち望む人がどれだけいるのですか。延期費用は1日延期すれば1日分、1か月延期すれば1か月分かかります。総額3000億円の延期費用がアベノマスクのように、すべてドブに捨てられることにならないよう一刻も早く中止返上を決めて下さい。ハッキリ言って往生際が悪い」
「1年先、コロナウイルスがどのような状況になっているか。治療薬、ワクチン。日本国内にすべて行き渡るとは到底思えない。仮に国内が終息したとしても、南米やアフリカなど医療体制が脆弱で爆発的に感染が拡大している国々の人々が、果たしてオリンピック開催を現実的に考えられるだろうか。そういう国々の人を置いてきぼりにして、平和と友好の祭典と言えるのか」
「現実的に考えてほしい。観客が1000万人も来るのに、全員にPCR検査とかできるわけない。しかもだよ、PCR検査は何か月も前にやっても意味がない。オリンピック開催の直前じゃないと、また感染したら元の木阿弥だからね。そんな何千万人も集中的に検査できるのかね。感染者を海外から呼び込むイベントは絶対にやめてほしい」
「入国者全員にPCR検査を行い、陰性の人も2週間ホテルなどで待機を求めても、すり抜けた感染者が1日10人入国すると90日後には99%の確率で、緊急事態の再宣言が必要となる規模の流行が起こる。これが、8割おじさん・西浦先生(編集部注:西浦博北海道大学教授)の最近の分析だ」
「簡素化開催か。意地でも開催したいと言う気持ちが表れたな。オリンピックを開催しても、なんとも空疎で味気のないものになるのは明白だ。すべての競技が終了したあと、『ああ、開催してよかった!』と心から思える大会になるだろうか。海外の人々から、そこまでして日本人はオリンピックを開きたかったのか、と恨まれる結果になるに決まっている」

   最後にこんな声を紹介したい。

「コロナ対策だけでも、問題は山積みだが、その先にある新しい生活様式の時代の到来に伴う社会の変化も視野に入れて考えないといけない。当然、オリンピック開催のスタイル、またスポーツのあり方も、新しい時代に合わせての改革が求められる。ここは、一たん白紙に戻して考え直すべきだ。もはやオリンピックというコンテンツはコロナ以前のままでは使い物にならない。社会が大きく変化する時に、簡素化で目先のコロナをなんとか凌げば済むというのはあまりにおめでたい考えだ。簡素化という、その場凌ぎのマイナーチェンジではなく、フルモデルチェンジが要求される。そのためにある程度の時間が必要。なので、オリンピックは中止というのが、長期の展望に立って考えるならば賢明な判断」

(福田和郎)

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