五輪がたった一つのレガシーになった安倍首相の執念
一方、「レガシー」(政治的遺産)にこだわる安倍晋三首相の意向が強く働いたと指摘するのは、東京新聞「東京五輪運営簡素化案 中止回避へ政府異例の関与」という見出しの記事だ。
「東京五輪は安倍政権にとって経済V字回復の生命線。『中止だけは絶対避けたい』(首相周辺)のが本音だ。首相は来年9月に任期が切れる。憲法改正の実現や北方領土問題の解決は遠のき、五輪は達成し得る唯一のレガシー候補。(首相が以前主張していた)『完全な形』の開催にこだわり、中止に追い込まれれば元も子もない」
そこで恥も外聞も捨てて「簡素化」に打って出たというわけだ。ただ、難題が山積みだ。東京新聞が続ける。
「こうした対応を取るにはIOC(国際オリンピック委員会)や競技団体、選手らの同意が大前提。また、観客を減らす場合もチケット購入者と個別に折衝し、払い戻す膨大な作業が生じる。そもそも有効なワクチンが開発されなければ、各国から選手を受け入れること自体が感染リスクになる」
この際、オリンピックのあり方自体を見直すべきだと主張するのは朝日新聞のコラム「再考2020 五輪も選手自体も意識革新を」だ。筆者は日本ウェルネススポーツ大学教授の佐伯年詩雄(さえき・としお)さん。佐伯氏はまず、こう書いている。
「(五輪の)延期が安倍首相とIOCのバッハ会長の会談で決まったのは、どう見てもおかしい。最後は首相が決めたかのような見せ方をして、政治ショーにしてしまった。スポーツがいくら政治から自由でいたいといっても、全部吹っ飛んだ形だ」
なぜ選手を代表する立場のJOC(日本オリンピック委員会)が言い出さなかったのか、とスポーツ界のふがいなさを憤る。だから、コロナ禍によって五輪開催が危ぶまれる事態になっても、国民から「スポーツ界、頑張れ」という声にならないという。スポーツ界は、「コロナ禍の今こそスポーツだ」と自信を持って言えるのか、と問いかける。
「五輪の招致では建前で『平和と友好』というが、誰も一生懸命取り組まない。延期が決まって、まず出てくるのは費用の話だ。要は、せっかくお金をかけているし、経済効果も期待できるからと......」
そして、各競技団体が世界選手権を個別に開いている現在、五輪の意味はない。五輪をやりたいならアテネを永久開催地として競技数も減らしてやればいい、と主張するのだった。