新型コロナウイルス危機による緊急事態宣言が全国規模に拡大され、ビジネス面、生活面への影響は長期化を余儀なくされています。現代の日本、いや世界において、終息が見えない有事が続くことは経験がなく、言い方を変えれば、世のリーダーたちにとって間違いなく初めての経験の連続であるとも言えるでしょう。
この未曾有の有事局面において、我が国ではリーダーのさまざまな対応ミスがメディアでも槍玉に上げられています。リーダー批判をするのは当コーナーの役割ではありませんが、組織リーダーたちの今後の有事対応の参考にしてもらうべく、失敗と思しき点から学ぶべきことを取り上げておきたいと思います。
有事の判断は平時とは違う
まず最大の話題と言えるのが、紆余曲折の結果たどり着いた、全国民を対象とした10万円の個人給付金の問題です。当初、政府は一定の条件を満たした世帯主限定で30万円を給付するとアナウンスしました。一定の条件とは、低所得者層および所得激減者ということです。
ところが、この方式では実際に給付金をもらえる人は全国民の約20%、かつ提示書類などの手続きが煩雑であるという理由から、世論的から一斉に批判を浴びることになります。
当初から野党はじめ多くの人たちが主張していた「国民一人あたり一律10万円給付」というやり方に、結果的には落ち着いたわけなのですが、その経緯があまり悪かったと言えます。
この結論に至る最終的なきっかけとなったのが、与党内および連立与党からの強い要望でした。30万円案を維持できなくなったはのは、連立与党である公明党から一律給付にしないなら連立解消も止むなし、との厳しい判断を迫られたからであると報道されています。
まず問題だったのは、世論が何を「よし」としているのかに聞く耳を持たずに、独断で決めた政府方針を強引に推し進めたことでしょう。政府も国民一律配布を検討してはいたはずなのですが、財務省からの財政再建を念頭においた反対に合い、それを受け入れた結果、世論よりも長期的な懐事情を優先してしまったということに、最大の失敗があります。
有事対応でのリーダーの判断基準は、平時対応のそれとは異なってしかるべし、というのがセオリーです。
最初は厳しく、徐々に緩く......
有事に求められることは、まず眼前の難局をいかに迅速に乗り切るかが最優先されるべきであり、長期的な展望は難局を乗り切ってから検討すべき問題であるのです。そしてもう一つ、選択される策により組織の和の乱れやリーダーへの求心力の低下が懸念されるなら、その策は取るべきではありません。
和の乱れやリーダーへの求心力低下は、有事対応では確実にマイナスに働くからです。今回は言ってみればリーダーの選択の誤りに、組織の重鎮から「その戦略で押し切るなら、私は降ります」と言われるまで、自身の戦略的誤りに気がつかなかったわけで、「裸の王様」に近い状態にあったと言えそうです。
給付金問題に次いで世論的に物議を醸しているのが、「緊急事態宣言」に関する具体的な対応策の提示方法についてです。この点では小池百合子東京都知事が、明確に政府のやり方に相反する主張をして政府と対立していたのですが、小池都知事の考え方のほうがリーダーの有事判断のポイントを捉えていたと思います。
小池都知事は、緊急事態宣言とともに業種指定による自粛要請をするべきとの主張でしたが、政府はこのタイミングでは企業への自粛要請はしないという方針でした。
政府の考えは、「まずは2週間程度、緊急事態宣言の効果を見定め、そのうえで必要があれば自粛要請を行なう」というものでしたが、小池都知事は緊急時の規制の網は「はじめに厳しく、規制効果が現れてきたら徐々にそれを緩めていくのがセオリーであり、政府のやり方はまったくの逆」と、これを真っ向から批判したのです。
これは正論です。当初、政府の方針に従って営業自粛の業種を指定していなかった東京都以外の緊急事態宣言対象の6府県は、次々と業種指定による営業自粛を訴えることとなり、最終的に政府として業種を指定したうえで営業自粛を呼びかけることに至りました。結果的には、正論が通ったわけです。
重要なのは施策を打ち出す「順序」
想定外の危機発生時には、まず同様の問題の連鎖が起きないように、その時点での有事管理を徹底し、危機を脱した時点で有事管理を解いて緩やかな平時管理を定めて、それに移行する、という解決方法は記憶にとどめておきたい有事対応策です。
国民へのマスクの一律配布も、大いに物議を醸した一件でした。これは多分にタイミングの問題であったと思われます。コロナ危機の下で国民の多くの人たちが必要としていたのは一律配布の給付金であり、それが多くに人には行き渡らないということになりそうな折に、「国民に一律マスクを配布します」とアナウンスしたこと。マスク配布の善し悪しの問題ではなく、マスクの一律配布が実行策としてアナウンスされ、行動に移されたことで、世論の方向に遅々として進まない給付金策との比較がクローズアップされ、政策の優先順位的に主客転倒の印象が強くなってしまったと思われます。
有事であるからこそ、リーダーの策の打ち出しに関わる順序というものも、大変重要になってくるのです。できることからやるのではなく、重要なこと、より効果の高いことから手を付けるべきなのです。
最後にもう一点、物言いがハッキリしないということが日本の政治家には多いように思います。イエスなのかノーなのか判然としない。イエスを匂わせながらも、逃げ道を残すような物言い。
これは平時における政治家特有のものが、ついつい出ているのかもしれませんが、有事下においては我々下僕(しもべ)の者からみて、不快感しかないことを今回改めて実感しました。
やるのかやらないのか、右へ行くのか左なのか、有事で皆が動揺し精神が正常さを失っている時ほど、リーダーの明確な言葉の表現は、何より危機を乗り切る求心力となることでしょう。(大関暁夫)