「幸せ」がGDPで計れない時代 人生のプラスアルファの「何か」が豊かさを決める(小田切尚登)

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   日本経済の低成長が続いている。

   IMF(国際通貨基金)によると2010年代の10年間の日本のGDP(国内総生産)は年平均わずか1.3%しか増加しなかった。そして、2020年は消費税の増税や新型コロナウイルスの影響により、さらに厳しい状況になりそうだ。

   しかし、1980年代までの日本は世界経済の「スーパースター」であり、1956~1973の我が国の年平均GDP成長率は9.1%という驚異的なものであった(内閣府のデータによる)。

   政府は現況を、何とか打開しようとしてきたが、なかなか有効な策がないというのが実情だ。

  • 「幸せ」はGDPでは計れなくなった……
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すべての先進国が低成長に悩んでいる

   低成長に悩んでいるのは日本だけではない。先進国のすべてが程度の差はあれ同じ悩みを抱えている。IMFの統計によるとヨーロッパの主要国では、ドイツと英国が過去10年間の成長率がそれぞれ1.9%と1.8%ということで比較的よかったが、フランスは日本と同じ1.3%。スペインは1.0%、イタリアは0.2%であった。

   米国とカナダは2.3%と2.1%となんとか2%を超えた程度。どの先進国も、どうしたら低成長を脱することができるのか、頭を抱えている。

   しかし、「低成長は素晴らしいことであり、心配には及ばない」とする学説が発表されて、話題を呼んでいる。

   これは米国の経済学者、ディートリック・ヴォルラス氏が提唱したもので、2020年1月には「Fully Grown: Why a Stagnant Economy Is a Sign of Success(十分成長した:停滞する経済が成功の証である理由 仮訳)」という本が出版された。本書をめぐって、各所でさまざまな議論が起きている。

   本書では、なぜ先進国が21世紀に経済成長をしなくなったかについて、詳細な分析が行なわれている。ヴォルラス氏は先進国がこぞって経済成長を鈍化させたのには、大きく二つの要因があるという。

「生活が豊かになると出生率が下がる」のは道理

   一つは、労働力の減少である。

   これは現在60代から70代前半くらいのベイビー・ブーマー世代が、核家族志向であったためだ。20世紀後半に、出生率が大きく減ったので、21世紀になって労働力不足が生じ、結果として生産活動が伸び悩むことになった。

   少子化は経済が成熟し、多くの人々が豊かで幸せな生活を送れるようになったために起きた。女性が一生に平均一人強しか子供を産まない、などという事態は人類の歴史上初めてのことである。これは人類が、かつてないほど豊かな生活ができるようになったことの反映である。

   昨今は日欧を追いかける形で東南アジア、インドなどでも子供の数が大きく減っているが、これも「豊かになると出生率が下がる」という理屈どおりの動きである。

   もう一つの要因は産業構造の変化である。

   日本を含めすべての先進国で製造業からサービス業へのシフトが起きた。ひと口にサービス業といっても多種多様だが、医療や福祉、教育、文化、飲食、宿泊、娯楽など、どうしても人手をかけて業務を行わないとならない分野が多い。そのため製造業よりも生産性が劣ってしまうことになる。

   近年はGDPの中でサービス業の占める割合が圧倒的に高くなっており、そのためGDP全体も伸び悩むことになった。

   我々の家にはモノが溢れていて、これ以上モノはもう要らないと感じるようになった。そのため我々の消費はサービスに向かうようになった。住まいやクルマ、電気製品などにカネをかけるよりも、教育や美容・健康、旅行や趣味やスポーツなどにカネを使いたい......という考え方が主流になっている。

   人々が物質的に十分豊かになったために、サービス志向になったということだ。

高度経済成長期はGDPが「幸せ」と直結していた

   こう見てくると、経済成長率が低下していくのは我々が豊かになった証であり、必然といえることがわかる。

   それは誰に強制されたわけではなく、我々自身が「子供は少ないほうがよい」「モノよりもサービスが重要」というふうに望んだ結果である。自分が望んだ状態が実現したのだから、不満を言うのは的外れだろう。喜んで然るべきではないか。

   私はこのヴォルラス氏の見方におおむね同意する。とはいえ、先進国は今もそこそこの成長をしていることにも注意が必要だ。中国のGDPが年6%超の増加などという話を聞くと、「先進国にはとても無理だ」という気になってしまう。

   しかし、先進国と途上国ではそもそも一人当たりGDPの数値が大きくことなるので、その成長率の数字をそのまま比較するべきではない。

   たとえば、日本の一人当たり実質GDPは中国の約3倍である。そのため、仮に中国の成長率が6%で日本の成長率が2%であったとすると、増加率では中国が3倍であるが、増加額では日中同じということになる。これがより顕著に表れるのが、米中の比較である。米国と中国の一人当たり実質GDPを比べると、成長率では中国がはるかに上回っているものの、成長の絶対額を比較すると、じつは今も米国のほうが大きい。つまり、米中の経済力の差は個人ベースではむしろ、どんどん広がっているのである。

   1970年代の高度成長期までの時代はGDPの数字が幸せと直結していた。経済成長と生活水準の向上とはほぼ同義であった。食べていけるように、子供が育てられるように、子供が学校に通えるように......と、みんな必死に働いた。

   しかし、今は大半の人にとって、とりあえず基本的な生活には問題がない状況が実現した。食事や住まい、義務教育や基本的な医療などに問題がなくなってくると、人々が次に望むのが生活の質のさらなる向上である。

   今の人たちは半世紀前の人よりもはるかにいい暮らしをしているはずだが、必ずしも幸せに感じていない。それは人々の要求する水準もまた高くなっているからだろう。我々の幸せはGDPの数字ではなく、プラス・アルファの「何か」が決める世の中になってきたということではないか。(小田切尚登)

小田切 尚登(おだぎり・なおと)
小田切 尚登(おだぎり・なおと)
経済アナリスト
東京大学法学部卒業。バンク・オブ・アメリカ、BNPパリバなど大手外資系金融機関4社で勤務した後に独立。現在、明治大学大学院兼任講師(担当は金融論とコミュニケーション)。ハーン銀行(モンゴル)独立取締役。経済誌に定期的に寄稿するほか、CNBCやBloombergTVなどの海外メディアへの出演も多数。音楽スペースのシンフォニー・サロン(門前仲町)を主宰し、ピアニストとしても活躍する。1957年生まれ。
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