荒涼たる「番外地」から、どうやって愛される存在に テレ東にみるサバイバル物語

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箱根駅伝は「テレ東」で放送していた!

   生まれ変わったとはいえ、すぐさま飛躍に結びついたわけではない。その後もしばらくは低迷の時代が続く。1980年代後半、当時のテレビ業界では「三強一弱一番外地」という言い方があり、それは視聴率を基準に区分けした。「三強」は日本テレビ、TBS、フジテレビで、「一弱」はテレビ朝日。「弱」にもなれない、遠くはなれた「5番目の民放」という意味で、テレビ東京は「一番外地」と呼ばれていた。

   「番外地」は、東京12チャンネル時代からの、いわば負の遺産。混乱の船出を経験したが、やっと「株式会社」「一般総合局」という条件が備わってきた。このあと、テレビ東京はさまざまなチャレンジをしながら道を開いて、「番外地」を脱していく。

   チャレンジ精神は、すでに「危機」のころにも発揮されていた。1968年に始まった「女子プロレス中継」はその一つ。同年11月21日には、中継した「世界選手権」が24.4%という開局以来の高視聴率をたたき出した。その後、週1回放送のレギュラー化され好調を維持した。同じころ、ドラマ「プレイガール」や「ハレンチ学園」もヒット。だが、お色気を売り物にする「過激路線」が問題視され、そのスケープゴートとして女子プロレス中継が打ち切られたという。

   音楽番組でも独自性を打ち出し、1968年に始まった「年忘れにっぽんの歌」はその原型で、大みそかの定番番組としてすっかり定着した。72年スタートのアイドル番組「歌え!ヤンヤン!」は、後継番組の「ヤンヤン歌うスタジオ」に引き継がれ、アイドル番組の老舗的存在になった。

   現在、テレビ朝日系列で放送されている「題名のない音楽会」は、元々テレビ東京で始まった。新年を彩る風物詩となった箱根駅伝中継は、じつはテレ東が「元祖」だ。さまざまな技術的な問題を克服して、1979年に放送をスタートさせたが、完全生中継ができるまでには至っておらず、87年からは技術で勝る日本テレビ系列に移った。

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