三井住友海上火災保険に勤務する視覚障がい者のパラアスリート、熊谷豊さん(32)は、2020年の東京パラリンピックのマラソンを走るため、勤務をしながら毎日練習に励んでいる。
すでに「推薦内定」を獲得。「参加枠」がかかった今年4月のロンドンマラソンで条件を満たせば念願がほぼかなう。
「推薦内定2位」も自信
熊谷さんは2019年8月25日に開かれた代表推薦選手選考大会の一つ、北海道マラソンで2位、「推薦内定」を得た。しかし、記録は自己ベスト(2時間27分35秒)から4分以上遅い2時間32分20秒。レースの数か月前に左膝内側を負傷し「疲労骨折一歩手前」で、ドクターストップの可能性もあり、走りとしては満足できるものではなかった。
東京パラリンピックの男子マラソンは日本から3人が参加できる(トラック種目との重複参加などで変更の可能性あり)。このうち、リオ大会でもマラソンに出場した堀越信司(ただし)選手が19年4月の世界選手権で3位に入り、順位1位の「推薦内定」を得て同時に参加枠を獲得。一方、熊谷選手は北海道マラソンで順位2位の「推薦内定」を決めたが、参加枠はまだ獲得していない。20年4月のロンドンマラソンは世界パラ陸上競技連盟(WPA)のワールドカップとして開催され、参加枠を持っていない選手が2位までに入ると参加枠を獲得できる。
熊谷さんは故障を言い訳にせずもっと早く走れるようにならなければ...... そんな思いでロンドンへの弾みをつけるため2019年12月1日の福岡国際に出場。コンディションを整え納得できる走りができ、それまでの自己ベストを2分30秒も更新、2019年の1年間で限れば、世界第2位に相当する記録だった。
東京・神田駿河台の三井住友海上の本社で熊谷さんに話を聴いたのは、その数日後のことだ。「ロンドンで普通に走れば(参加枠を)決められると思う」と自信を見せた。
リオ挑戦では悔しさが......
熊谷さんの障がいは、先天性無虹彩症。強い光が苦手で、曇りの時でもまぶしい時があるほど。医療用サングラスを着用することなどで単独走が可能な弱視クラス「T12」に属す。「T」は「トラック(Track)競技」を表す。
仕事ではパソコンを使っているが、画面の拡大や白黒反転で対応しており「ハンデはとくに感じない」そうだ。ただ、競技中は道路の段差の色分けが見えず転びそうになったり、給水のボトルの位置がよく分からずピックアップの際に何本か倒してしまったりしたことがあった。
パラリンピックへは、前回リオ大会に続く挑戦。リオの出場枠がかかった16年2月の別府大分毎日マラソンで終盤まで2位を守っていたが、ゴール目前の41キロ付近で、ロンドン大会(12年)5000メートル3位の和田伸也選手に抜かれ切符を逃した。和田選手は全盲で競技には伴走者が必要な「T11」。この時の記録は当時の自己最高を4分近く縮める2時間34分台だったが満足感などはなく、さまざまな意味で悔しさが募るばかり。すぐに目標を「東京」に切り替えトレーニングに励んできた。
フルタイム勤務でのトレーニング
熊谷さんは秋田市出身。幼いころから野山を駆け回り、足は早く小学校では1、2位を争うレベルだった。中学に進んで「友達になんで部活やらないのか」と言われ続け、2年生の時に誘われて陸上部に入部。「種目としては、長距離ではなく中距離型。1500メートルとか3000メートル。先輩たちに恵まれて、なかには大学で箱根駅伝を走った人もいるなどレベルが高かった」。3年生のときに3000メートルで県の大会で6位になったことを覚えている。
陸上部の先輩の声がかりでスポーツでも全国的に知られる金足農業高校に進学。全国高校駅伝競走大会・東北地区予選会でメンバーに選ばれた。さらに大学進学でも陸上部の先輩の紹介で富山県の高岡法科大学に推薦入学。4年生のときの08年11月に「第40回全日本大学駅伝対校選手権大会」(熱田神宮~伊勢神宮)で5区を走った。
2009年に大学を卒業し、横浜市のシステムのソリューションサービスの企業に就職。社会人になると同時にランナーとしてのキャリアには幕引きをした格好で、その後の2年間はまったく走っていなかった。ランニング再開のきっかけはダイエットだ。「入社時に51キロだった体重が70キロぐらいになり減量しなければと......」。格好の施設があったことが背中を押した。横浜市が設置した「障害者スポーツ文化センター」。施設内には、視覚障害者ランニング誘導マシンを備えた地下トラックがあった。
「大学のジャージーを着て走っていると、リハビリに来ている児童の親御さんたちから、子どもを一緒に走らせてと声をかけられるなど、いろいろなつながりができた」という。視覚障がいの仲間もでき、JBMA(日本ブラインドマラソン協会)の人ともつながりができたのも、この場所だった。そして、まもなくダイエットのための走りがランナー生活の再開にシフトした。
とはいうものの、勤務先の会社には陸上部はなく、ダイエットのためのランニングをしていたときと変わらずフルタイム勤務をしながらのトレーニング。「打ち込むのは厳しかった」と振り返る。そのなかで走り込みを重ね、リオの大会を目指し、あと一歩というところまで迫ってきたのだ。
だが、このままの環境では東京大会でも同じことの繰り返しになるのではないか――。そんなことを考えているなかで、横浜の施設で知り合った三井住友海上人事部に勤務する視覚障がい者のランナー、米岡聡さん(T11)に声をかけてもらって縁が生まれ、2017年に同社に入社することになった。
4月のロンドンマラソンが「最終関門」
三井住友海上火災はスポーツ振興の取り組みで知られ、女子柔道部、女子陸上部、トライアスロン部のほか、パラアスリートを積極的にサポートしており、現在パラアスリートは熊谷さんや米岡さんら5選手が社員として在籍している。会社として、それぞれの部にあった時間体系、勤務体系をつくっているという。
熊谷さんは総務部に勤務し事務手続きを担当。前の会社がIT系なので、表計算ソフト、エクセルのVBA(プログラミング言語)の心得があり、これらのソフトを使う事務処理の効率化などを手がけている。会社での勤務終了後、夜まで練習。出勤前の「朝練」に加えてトレーニングの時間が増え、メニューも多彩になり、「時間的に有意義に過ごせるようになった。そこが一番違うなと感じる」と、熊谷さんは言う。
練習場所は東京都北区の「味の素ナショナルトレーニングセンター」。パラリンピックマラソンが午前7時にスタートするのに合わせ、しばらく前からは出勤前の早朝にランニングをし、勤務後は筋トレの時間に充てて過ごしている。「強化指定A」を受けたことをきっかけに、住まいを横浜からトレセン近くに移すなど一層、練習に専念できる環境づくりを心がけている。
三井住友海上火災に入社してから、マラソンのほか数々の大会で5000メートル、1万メートルのレースで優勝を重ね、東京パラリンピックの切符も目前だ。「会社全体がスポーツに理解があることを感じる。日曜日などに大会があると、月曜日には『おめでとう』『おつかれさま』と声をかけてくれる。(2019年12月の)福岡国際マラソンでは、悪天候にもかかわらず、支店の方々が応援にきてくれて心強かった」と言う。
パラリンピックへの「最終関門」であるロンドンマラソンは、2年前の出場のときには3位に入賞した大会。今回については「普通に走れば(出場枠は)決まるのではないか」と自信を見せる。パラリンピックの「推薦内定」を得た北海道マラソン直後の2019年9月に結婚。その翌月には長女が誕生した。新しい家族のため、いつも応援してくれる会社の同僚らのため、ここまでの道をリードしてくれた人たちのためにも、今年の活躍を胸に秘めている。