フルタイム勤務でのトレーニング
熊谷さんは秋田市出身。幼いころから野山を駆け回り、足は早く小学校では1、2位を争うレベルだった。中学に進んで「友達になんで部活やらないのか」と言われ続け、2年生の時に誘われて陸上部に入部。「種目としては、長距離ではなく中距離型。1500メートルとか3000メートル。先輩たちに恵まれて、なかには大学で箱根駅伝を走った人もいるなどレベルが高かった」。3年生のときに3000メートルで県の大会で6位になったことを覚えている。
陸上部の先輩の声がかりでスポーツでも全国的に知られる金足農業高校に進学。全国高校駅伝競走大会・東北地区予選会でメンバーに選ばれた。さらに大学進学でも陸上部の先輩の紹介で富山県の高岡法科大学に推薦入学。4年生のときの08年11月に「第40回全日本大学駅伝対校選手権大会」(熱田神宮~伊勢神宮)で5区を走った。
2009年に大学を卒業し、横浜市のシステムのソリューションサービスの企業に就職。社会人になると同時にランナーとしてのキャリアには幕引きをした格好で、その後の2年間はまったく走っていなかった。ランニング再開のきっかけはダイエットだ。「入社時に51キロだった体重が70キロぐらいになり減量しなければと......」。格好の施設があったことが背中を押した。横浜市が設置した「障害者スポーツ文化センター」。施設内には、視覚障害者ランニング誘導マシンを備えた地下トラックがあった。
「大学のジャージーを着て走っていると、リハビリに来ている児童の親御さんたちから、子どもを一緒に走らせてと声をかけられるなど、いろいろなつながりができた」という。視覚障がいの仲間もでき、JBMA(日本ブラインドマラソン協会)の人ともつながりができたのも、この場所だった。そして、まもなくダイエットのための走りがランナー生活の再開にシフトした。
とはいうものの、勤務先の会社には陸上部はなく、ダイエットのためのランニングをしていたときと変わらずフルタイム勤務をしながらのトレーニング。「打ち込むのは厳しかった」と振り返る。そのなかで走り込みを重ね、リオの大会を目指し、あと一歩というところまで迫ってきたのだ。
だが、このままの環境では東京大会でも同じことの繰り返しになるのではないか――。そんなことを考えているなかで、横浜の施設で知り合った三井住友海上人事部に勤務する視覚障がい者のランナー、米岡聡さん(T11)に声をかけてもらって縁が生まれ、2017年に同社に入社することになった。