「人生100年時代」といわれるようになって、同時に「リカレント教育」も強調されるようになった。2年ほど前に政府がその拡充を言い出して以来、時代のキーワードの一つになった。
政府の狙いは、企業で定年前後の人らに勤務継続や再就職を促すための再教育だが、本書「大前研一 稼ぐ力をつける『リカレント教育』」では、政府のこの方針は、年金制度維持のための小細工に過ぎないと喝破。デジタル化により産業構造の変化が次々に起こる現代社会では、より本質的な取り組みが必要と訴える。
「大前研一 稼ぐ力をつける『リカレント教育』」(大前研一著)プレジデント社
大学で学んだ知識は「一瞬で陳腐化」
2017年11月に首相官邸で開かれた「人生100年時代構想会議」の会合で、安倍首相は「人生100年時代を見据え、その鍵であるリカレント教育の拡充を検討する」と述べた。かねてより「リカレント教育」に取り組み、そのための事業を行ってきた本書の著者、大前研一氏は、首相の発言を聞き「政府もついに分かってくれたか」と感慨に浸ったという。
ところが、政府の方針の内容が分かってくると「私が意図するリカレント教育とはかなり異なることに気づいた」と大前氏。同氏が考える「リカレント教育」は「若年層から『生涯にわたり』行うべき」ものだが、政府は「定年」を境として、現代では格段に長くなったそれ以降も働くための再教育にのみ重きを置いていたからだ。
本書によると、リカレント教育が最初に注目を集めたのは、1969年の欧州文部大臣会議。スウェーデンの当時の文相がスピーチで述べたという。これを機に欧州では各国でリカレント教育が普及。とくに北欧諸国が戦略的に展開し、これまでのデジタル化、IT化のなか、各国でグローバルな競争力を持つ企業が育つ源泉になったという。
近年は年を追うごとに社会全体のデジタル化が加速。産業構造でも「破壊的な変革」が次々と起こりうる「デジタル・ディスラプションの時代」に突入した。そうしたなかでは、大学や大学院で学んだ知識は「一瞬で陳腐化」。20世紀までの社会では、高等教育を受ければ「終身雇用」もあり、生涯にわたって一つの企業にとどまって働き続けることができたが、いまでは、その発想では生き残りが困難となりつつあり、企業もどんどんグローバル競争から弾き飛ばされるようになってしまう。
コアな部分に手付かずの政府の「リカレント教育」では効果が心もとない。「人生100年時代」を、個人も企業も国も豊かに過ごそうとするためには、個人では若いころから意識してリカレント教育に積極的に取り組む必要があり、政府は、年金の受給開始年齢引き上げを視野にしてリカレント教育を持ち出すならば、若い層からの実際的な取り組みを考えるべきという。
「単線型」から転換せよ
必要となるのは「仕事」と「学び」を繰り返す「マルチステージ型」のライフモデル。これまでは「『教育』→『勤労』→『引退』」と3ステージを経験すれば十分という「単線型」ライフモデルだから、根本的転換が求められる。
「単線型」では、社会人となって学ぶべき知識は、会社が研修などで授けてくれたので受動的な姿勢でも定年までやっていけた。手厚い退職金もあり年金などの社会保障も近年盛んに取りざたされる懸念はなく、節目の学び直しなど考えなくても老後を安泰に過ごせる見通しが持てたものだ。
しかし現代では、老後の生活費が公的年金だけでは不足する可能性が指摘されることを考えれば、生涯にわたり稼ぎ続けられる力を誰もが身に付けねばならない時代といえる。そうした時代に合わせたマルチステージ型だ。
「リカレント教育」という言葉が認識されたのは良いことなのだが、政府の、的外れともいえる方向性や企業の理解不足、個人が積極的に活動しようとしても環境が整っていないことが今のところの課題。大手百貨店が48歳以上の社員に対して希望退職者を募り、一人につき1億円をかけてリストラを実行したことについて「1億円かけるくらいなら、再教育の選択肢があってもよかった。48歳といえば、本来は脂の乗った働き盛り。それを再教育の機会も与えず放り出すのは経営者の責任放棄」と指摘する。
個人レベルでのリカレント教育をめぐっては、欧米の諸外国に比べ大学、大学院の受け入れ態勢が充実しているとはいえず選択肢が限られるのが現状。インターネットを活用してプログラムを自分で組むことなどを検討するのも一つの手のようだ。
本書では、諸外国の実例のほか、リカレント教育を採り入れている企業についても詳しく紹介されている。就職の際のガイドとしても使えそうだ。著者の特徴である明快さと歯切れの良さもあり、現代で「生涯現役」の重要性がしっかり認識できる一冊。
「大前研一 稼ぐ力をつける『リカレント教育』― 誰にも頼れない時代に就職してから学び直すべき4つの力」
プレジデント社
税別1400円