日本古来の、願いを叶えるシステムの神社参拝。なぜ、神社参拝でお願いごとが叶うのか――。
神社と神様のヒミツを解き明し、神様とつながり、神様パワーをいただく方法を伝えます。オススメの神社も公開しているので、新年にうってつけの一冊といえるでしょう。
「ネガティブでも開運する神社参拝」(MACO著、八木龍平著)日本文芸社
神社参拝の「王道」とはなにか
本書は八木龍平さん(リュウ博士、社会心理学者)と、MACO(作家、メンタルコーチ)の対談本です。対談の中で、57社もの神社の話題が出てきます。神社に行く時は、作法やら願いごとに必死になって、肩に力が入ってしまう人が多いと思います。
じつは、神社はもっと気軽に行っていい場所であることがわかります。
MACOさんは、起業前に白山比畔神社で、「私はこれでやっていきます」という自分宣言をします。ところが、いまでは自分の願いごとをしていないと言います。なぜでしょうか?
MACOさんは、
「このからだを使ってください。それによって世の中全体がよくなって喜びに満ちますようにという意味でお参りする。『私はこれが欲しい』といったことはあまり言わなくなっちゃいました」
と、明かす。
リュウ博士も、
「でも、それが神社参拝の王道ですからね。『神様、世のため人のため、どうぞ私をお使いください』と言う。願いを叶えるためには、自分の力=自力と、他人の協力=他力が必要です。願いが大きくなればなるほど、たくさんの他者の協力が必要になる。そこで、 誰かのための他力に自分がなる、ということなんです」
と話す。
「そうですよね。これが王道だというのに最近、気がつきました」
MACOさんも納得だ。
リュウ博士は、神社で個人のお願いごとをするようになったのは第二次世界対戦後、アメリカの個人主義が入ってきてからだ、と説きます。それまでは全体のためとか、共同体のために自分を使う、というのが神社で祈願することが主流でした。いまは、個人が主体の世の中になったから、自分のお願いをするのがふつうになったようです。
自分のお願いごとをするのが悪いわけではありません。しかし、全体の中には個人も入っています。だから、全体がよくなれば、あとは自分の働きを意識さえしていれば、個人的な願いは叶って行くという考えのようです。
初詣や参拝の際に思い出してほしい考えです。
もっとこうしていきたいという考えが大切
「欲はありますけどね。どうしてもつかみたいという執着からくる欲がないんです。いまが不幸せだからこれが欲しい、こうなってほしい、といったことじゃなくて。『もっとこうしていきたい』という意味での願いごとは、まだありますけど。
いまは執着がなく、とくに理由なく神社に行くのが楽しいですし。日常生活の一部として行きたくなったらいく。それができるのは幸せなことです」
と、MACOさん。
また、神様の働きについて知るのが好きだとも、言います。この神社には、どなたが祀られていて、その神様はどんな働きをしてくれるのということを考えるのが楽しいようです。
リュウ博士は、
「神社に参拝するときに、『ここの神様はどんな神様なんだろう』と調べる。出版社の方が著者に本の執筆を依頼するときは、その著者のことを調べると思うんですよ。それまで出ている本を読んだり、ブログをさかのぼったりしてね。『すいません。本を書いてください。ところであなた、誰ですか』ってことはないと思うんです。神社もまったく同じことです」
と説明する。
神社では、最低限のマナーは守りながら、必要以上に気を遣わず、ありのままの自分で参拝するのがいいようです。また、神社はお願いするのではなく、宣言する場所であるということ。自分の選手宣誓をする場と考えてください。初詣や参拝の参考にしてみましょう。(尾藤克之)