反省という「技術」で人を守る
◆覆水は盆に返らない
もちろん事故が起こる前であれば、医療者が患者さんを安心させるために、少しオーバーに不安を否定してみせることもあります。また、リスクにおびえすぎる状況を多少おもしろおかしく表現することもあり得るでしょう。しかし一たん医療事故が起きてしまった後にまったく同じ発言を繰り返せば、
「稀な事故だから許されると思っているのか」
「患者の不安を馬鹿にする気か」
「事故のことを真剣に考える気がないのか」
という誹りは免れ得ません。そして、それは事故から年月が経ったから消えるものではないのです。たとえば事故から10年が経った後、
「そろそろ医療事故を忘れて、前向きな話をしてもいいのではないか」
などという発言をすれば、
「そろそろ、で済まされる問題か」
「時間が経ったら、ほとぼりが冷めるとでも思っているのか」
「本当に反省する気があるのか」
と、言われてしまうのではないでしょうか。なぜなら、どんなに時間が経っても事故はなかったことにはならず、被害は元に戻ることはないからです。
被害に遭った患者さんと家族の気持ちを慮ること。それは医療者として一生貫くべき職業文化であり、「そろそろ......」といって打ち切るような、期限付きの「自粛」ではありません。それは、原子力においても同じことなのではないでしょうか。
◆新しい職業文化を
あくまで医療という立場からの意見にはなりますが、福島への「自粛」は、関係者の抑圧感の解消や原子力に関わる業界のイメージアップ戦略のために解かれるべきではない、と私は思います。
もちろん、被災者への配慮を犠牲にして得られるメリットがデメリットを上回るのであれば、戦略的に前向きな発言はなされてよいかもしれません。しかし、その前向きな発言と被災者への配慮が本当に両立し得ないのか、という議論は十全になされるべきだと思います。
今、福島の現場はようやく表面上の落ち着きを取り戻し始めています。そんな大切な時期だからこそ、ふと「正直な本音」を語ってしまったほうが「炎上」に巻き込まれる、といった不毛な出来事を繰り返さない戦略が必要だと思います。
個人がこれ以上無用な攻撃を受けないよう、そして「炎上」によって福島に住む方々が癒えかけた傷を再びえぐられることのないよう、業界全体が反省という技術をもって人々を守る。それが加害者としての職業倫理であり、「3.11」後のエネルギー業界に必要な戦略なのではないでしょうか。それが、事故という現実が常に身近にある、医療現場からの愚考です。(越智小枝)
地球温暖化対策への羅針盤となり、人と自然の調和が取れた環境社会づくりに貢献することを目指す。理事長は、小谷勝彦氏。