ここ数年、日本人が毎年のように科学分野でノーベル賞をとるたびに韓国メディアは「悔しい!」「苦々しい!」とやっかみともとれる反応を示してきたが、ついに「韓国版ノーベル賞」を創設する動きが現れた。
賞金総額は本家の「ノーベル賞」を上回る額になるという。その裏には日本に対して80年近く対抗心を燃やしてきた財界人の姿があった。韓国紙で読み解くと――。
「ノーベル賞を超える科学賞作る」
「韓国版ノーベル賞」構想の動きを、朝鮮日報(2019年10月24日)「毎年賞金75億ウォン、ノーベル賞超える科学賞作る」がこう伝えている。
「教育財団『冠廷(クァンジョン)李鍾煥(イ・ジョンファン)教育財団』の李鍾煥理事長(96)が、早ければ2022年から毎年5分野でそれぞれ15億ウォン(約1億4000万円)ずつ、計75億ウォン(約7億円)の賞金を与える仮称『世界冠廷科学賞』を制定することにしたと明らかにした」
イ・ジョンファン氏は韓国の財閥の一つ、三栄(サムヨン)化学グループを長年率いてきた財界人だ。2002年に私財3000億ウォン(約279億円)を出し、教育財団の規模としてはアジア1位といわれる同財団を設立、これまでに1万人以上の学生に奨学金を供与してきた。
イ・ジョンファン氏は、朝鮮日報のインタビューにこう答えた。
「私の一生の最後の作品だという考えで、ノーベル賞を超える賞を作ることにした。天使のようにお金を稼ぐことはできなくても、天使のようにお金を使うことはできる」
朝鮮日報は、こう続ける。
「財団が社会還元を始めて以降、着実に支援金を増やしていき、今では資金だけで1兆ウォン(約930億円)を超えた。イ・ジョンファン理事長は『生命科学賞・数理物理学賞・化学賞・応用工学賞・人文社会科学賞の5分野で毎年、各受賞者に15億ウォン(約1億4000万円)前後の賞金を授与する』と語った。賞金額だけを見れば、6分野で各100万ドル(約1億900万円)のノーベル賞よりも規模が大きい」
じつは、イ・ジョンファン氏が「韓国版のノーベル賞」構想を明らかにしたのは今回が初めてではない。2016年にも「アジア版ノーベル賞」を作るとメディアに明らかにしていた。
中央日報(2016年7月20日付)「韓国の教育財団『アジアのノーベル賞を作る』」が、こう伝えている。
「イ・ジョンファン氏が明らかにした計画は壮大だ。部門別の賞金が10億ウォン(約9300万円)にもなる国内最大規模の『冠廷賞』を制定するという内容だ。イ氏は『アジアのノーベル賞を作らなければならないと考えて4年前から準備してきた』と語った。受賞部門は自然科学・応用科学・人文社会科学賞などで、『科学技術に韓国の未来がある。この賞金で研究に一層まい進すればよい。財団の奨学生の中からノーベル賞受賞者が出てきたらよい』と話した」
「メザシの土光」もびっくりの超質素な資産家
この時は、まだ賞金額もノーベル賞を下回り、受賞対象者もアジア、韓国内レベルだったようだ。それが本家を上回る構想になったわけだが、イ・ジョンファン氏とはいったいどんな人物か。
多くの韓国紙の報道をまとめると、1923年生まれで現在96歳。1942年に日本の明治大学商経科に留学した。「日本人を越えるには日本人より勉強しないといけないと考えたから」だという(中央日報 2019年8月5日付)。しかし、太平洋戦争末期の1944年に強制徴集、関東軍に配属され、ソ連軍と対峙した満州に送られた。
九死に一生を得て戦後、三栄化学グループを立ち上げ、一代で財を成したが、生活は質素倹約そのもの。飛行機もエコノミークラス、会社や財団の重要なパーティーでも花輪を飾らず、賓客にふるまう食事もイ・ジョンファン氏の好物でもある1万ウォン(約930円)以内の「ジャジャン麺」(編集部注・日本でいう肉味噌をかけたジャージャー麺)が多い。なんだか、昭和の大財界人「メザシの土光」こと、故土光敏光・元経済団体連合会会長を思わせるエピソードだ。
こうして貯めた金は、教育財団など特に教育方面の社会還元に多く使った。東亜日報(2012年5月12日付)「社説:医学部や法学部の学生には、自分の奨学金を払うな」が、イ・ジョンファン氏の人柄を表す教育観を紹介している。
「イ・ジョンファン氏は(奨学金を与える)学生の選抜に明確な哲学を持っている。法学部や医学部のような実利的学問よりは、基礎学問を中心に支援している。なぜなら、科学英才らがなりふり構わず医学部に、文科秀才らが法学部に詰め掛けている世の中だからだ。出世や安定的職業を目標にしている学生らは、自費で勉強すればいい。夢や情熱を持って、国に貢献できる人を育成するという哲学だ」
出世のために医学部や法学部に行く学生には、絶対に奨学金を与えるな、というのであった。そこには、激烈な受験競争社会の韓国では、基礎学問がおろそかになっているから日本のように科学系のノーベル賞受賞者が出てこないという思いがあり、今回の「韓国版ノーベル賞」構想につながっている。
「ノーベルは財産の94%寄付、私は97%だからもっと幸せ」
日本に対する対抗心もハンパでない。「日韓経済戦争」が始まった2019年7月、韓国における唯一の「日本研究機関」であるソウル大学日本研究所が文在寅(ムン・ジェイン)政権によって補助金が打ち切られたと聞くと、イ・ジョンファン氏は2億5000万ウォン(2300万円)の支援を申し出た。イ氏は、中央日報の取材にこう答えている(『見下すことも恐れることもなく勉強してこそ日本を越える』8月5日付)。
「日本を越えようとすれば日本を正しく知る必要がある。歴史的・道徳的な優越感から日本を見下したりする。それで日本に関する研究が不足することになった。日本に勝つには日本の過去・現在・未来を徹底的に研究し、日本より先を進まなければいけない。ソウル大学日本研究所がこうした役割をすべきだが、政府の支援が中断したことを知り、これではいけないと支援を決めた」
そして、産業現場で日本企業と競争してきた経験をふまえ、日本人についてはこう語ったのだった。
「日本人は他人のものを見て模倣にとどまらず、それよりも良い新しいものを作り出す素質がある人たちだ。一人ひとりを見れば韓国人が日本人より優れているが、日本人は何か一つを深く掘り下げて研究し、その研究を産業生産に活用するのに優れている。それが集団的な力になる。したがって我々が日本の動向をよく把握してこそ産業でも遅れを取らない」
日本人の何か一つを深く掘り下げて研究する力がノーベル賞の科学分野での受賞につながっていると考えているのだ。今回の「韓国版ノーベル賞」を韓国の科学界の起爆剤にしたいようだが、中央日報記者は、こんな個人的な思いも語っている。
「私の生前に(韓国人の)ノーベル賞受賞者が一人でも出ればよいが、10年は待たなければいけないようだ。我々がずっと奮発するしかない。(ほとんどすべての財産を出して後悔はないのかとの問いに)まったくない。無限の喜びと幸せを感じる。私は財産の97%を出した。アルフレッド・ノーベルは94%を寄付して喜んだという。だから私がもっと幸せではないだろうか」
(福田和郎)