六本木ヒルズ、じつは少子高齢社会対策だった 地方創生、シャッター街再生のヒントがここにある

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   戦後の復興を目指した国家事業として「ハード」中心の都市計画が行われ、日本は急速な経済成長を遂げることができた。高度成長期もまた、鉄道や道路など「ハード」を重視した街づくりが続いてきた。

   その間、住みやすさや街の魅力などといった「ソフト」は置き去りにされ、人口増加に伴って街は無秩序に拡大した。本書「これからの都市ソフト戦略」は、人口増が止まり、動きが逆に転じた今の時代こそ「ソフト」を重視した都市戦略が欠かせないと訴える。

「これからの都市ソフト戦略」(藤後幸生著)KADOKAWA
  • これからの時代にふさわしいコンパクトシティである六本木ヒルズのタワー
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「商店街」地盤沈下の原因

   戦後の日本では、道路や公園、上下水道、ダムなど、公共インフラをつくるために行政が税金を注ぎ込み急ピッチで整備を進めた。「日本中が焼け野原だったため、とにもかくにも街を形成するためにそういった『ハード』が必要だったから」だ。そのおかげで道路網も鉄道網も上下水道も、全国に行き渡るようになった。

   そして高度成長期の日本では、行政の住環境整備のおかげもあって、順調に人口が増加。豊かさが増し、狭い貸し間や小さい貸家暮らしからマイホームも現実的になり、郊外の土地は宅地造成され団地やニュータウンも次々とつくられたものだ。

   郊外移住が盛んになる以前、鉄道の駅やかつての城の近くの商店街の商店主らは、そのころ普及しはじめた大型店について規制法を求めるなどして営業を守ってきたのだが、こんどは客である住人が減り始める事態に直面することになった。

   のちに大型店の出店規制は、外資系業者進出の際の障壁になると米国などから指摘される経緯もあり廃止。大規模店の出店規制は緩和され、バブル経済の崩壊で社会が混迷するなか、大型店は安価に商品を大量に販売。そのあおりを受けて、商店街ではシャッターを下ろしたままの店が増えるようになった。

   今となっては後の祭りだが、と断りながら著者はこう述べる。「最初に百貨店やスーパーマーケットができたときに、地元の商店街が保守的に『大きな商業施設ができては困る』などと拒まず手を結ぶという選択肢もあったはず。商工会議所や自治体と協力しながら、新規参入の大規模店とともに街を盛り立てていくという、違う未来もあったかもしれない」。当時に「ソフト」に思いをいたすことがあれば、事態は変わっていた可能性がある、というのだ。

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