「炎上」は情報社会の「反射運動」に過ぎない
私のたずさわる医療は「加害者側」の職業の代表的なものだと思います。事故や有害事象だけでなく、具合の悪い患者さんを何時間も待たせた、採血で何回も針を刺した、など、日々何らかの被害を患者さんに与え得るからです。そんな診療の現場を見ていると、クレームを受けるのは必ずしも怠惰な人、反省しない人ではない、ということがわかってきます。
「患者にこんなつらい思いをさせて反省の色がないのか!」
現場でそういう叱責されるのは、むしろ一生懸命だけれども経験の浅いスタッフであることのほうが多いのです。
そこには、主に二つの理由があります。
一つ目の理由は、経験の浅い人ほど人の叱責を受け入れる心の余裕がないことです。つまり人に迷惑を掛けた自分にショックを受けすぎて、自己防御が先に立ってしまうのです。
もう一つの理由は、反省を示す技術が足りないことです。自分では一生懸命謝っているつもりなのに先方にはその反省の意が伝わらず、「こんなに謝っているのに、なぜいつまでも怒られなければならないのだ」と態度を硬化させてしまうのです。
このような医療の現場において、医療者が患者の意見を受け入れ、健全な反省できるようになるためには、少なくとも二つの訓練が必要であることがわかります。一つは自分の仕事が人を傷つけ得るものなのだ、という事実に耐える訓練。もう一つは、「加害者」である自分が患者さんの目にどのように映るのかを客観的に観察する訓練です。
新人スタッフがミスにより叱責を受けぬよう、職場はミスを生みやすい作業プロセスを改善するだけでなく、スタッフにこの二つの訓練を提供する必要もあります。今、多くの医療現場で医療安全やマナーの研修が増えているのはこのためです。私は、医療に関らず加害者と呼ばれやすい職業の方々皆が受けるべき訓練なのではないかと考えています。
「政府は反省しない」
「原子力ムラは何も変わらない」
などという批判をネット上で見るたび、失礼と思いながらも思い浮かぶのは、患者さんに怒られて立ちすくむ研修医の姿です。
「炎上」という現象自体は、放置していれば沈静する、情報社会の反射運動に過ぎません。しかし、ある組織における個人が何かの炎上を引き起こした時、それはその組織が今の時代に十分対応できなかった「システムエラー」である可能性もあります。
つまり、組織として取り組まなければ、その組織に属する別の個人が同じような言動を繰り返し、同じ傷を負い続けてしまうのではないでしょうか。そのような傷を防ぐためにも、炎上は組織改革の材料として用いられるべきだと私は考えています。
加害者というリスクを負う職業に携わる方々を不要な傷から守るため、組織を挙げて反省という技術を戦略的に学んでいく必要がある、と私は思います。
次稿では、原子力発電所事故と医療事故を対比させながら、その戦略について考察します。(越智小枝)
地球温暖化対策への羅針盤となり、人と自然の調和が取れた環境社会づくりに貢献することを目指す。理事長は、小谷勝彦氏。