厚生労働省は2019年8月28日、「遺伝子治療薬」の「コラテジェン」を、遺伝子治療薬では初めて保険適用とすることを決めた。
これに対して、健康保険制度の存続を危ぶむ声が出ている。
遺伝子治療薬「コラテジェン」1回の投与に60万円
「コラテジェン」は重度の動脈硬化で足の血管がつまった患者に対して、新しい血管を作るための遺伝子を注射して治療する。投与1回の公定価格(薬価)は60万360円で、9月4日から保険適用を開始。ピーク時の患者数は年1000人弱で、販売額は年12億円規模が見込まれている。
しかし、コラテジェンを使った治療で患者が支払う医療費は、実際には薬価の60万円よりもはるかに安く、10万円以下となる。これは保険が適用になることで患者負担は1~3割となるうえ、高額療養費制度により患者負担が軽減されるためだ。
つまり、患者が支払う医療費とコラテジェンの薬価60万円との差額は、健康保険組合が負担することになる。こうした状況に対して、健康保険組合の存続を危惧する声が生まれているわけだ。
だが、新薬の保険適用に対して、健康保険組合の財政を危ぶむ声はこれが初めてではない。近年の新薬は、開発費が高額なため、薬価は非常に高額になる傾向が強い。実際、今年5月22日から保険適用が開始された白血病治療の新薬「キムリア」の薬価は3349万3407円となった。それまではがん治療薬の「オプジーボ」が、最も高額な保険適用治療薬だった。
たとえば「キムリア」の場合、自己負担が3割の場合には自己負担額は約1000万円だが、高額療養費制度により、たとえば年収が500万円の場合の自己負担額は40万円程度。最も高い自己負担額でも約60万円で済む。
キムリアは原則1回の投与だが、オプジーボの場合は複数回の投与が必要になる。たとえば体重60キログラムの患者が1年間26回使用した場合には、オプジーボでの治療に必要な薬代は年間3500万円 になるが、自己負担は月額約8万円で済む。
2015年の日本の肺がん患者推定数は13万人で、もし患者5万人がオプジーボで治療すると、1年間の薬代は3500万円×5万人=1兆7500億円、10万人なら3兆5000億円が必要になる。これが健康保険組合の負担になってくるわけだ。
患者に「貧富」の差 高額治療は「平等」でない
「キムリア」の保険適用にあたり、麻生太郎財務相の「高額の医療をやって『存命期間が何年です』っていうと、だいたい数か月。そのために、その数千万のカネが必要なんですかって、よく言われる話ですけど」という発言が物議を醸したことがある。
しかし、この発言の真意は「数千万円を使って治療しても、延命期間が数か月」との批判にあるわけではなく、健康保険制度の財政悪化に対する懸念を示したものだ。
健康保険組合連合会(健保連)は9月9日、健康保険組合で2022年度にも医療・介護・年金を合わせた社会保険料率が労使合計で初めて30%を超えるとの推計を発表した。団塊の世代が後期高齢者になりはじめるためだ。
現役世代が払う健康保険料には、65歳以上の高齢者にかかる医療費を賄うための拠出金が含まれている。健保連は「2022年危機」と位置付け、後期高齢者の患者負担を原則1割から2割に引き上げるなどの対策を政府に求めている。
もちろん、新薬が開発されて病気の治療がなされ、健康を取り戻すことは喜ばしいこと。ただ、その半面、国民の健康を底辺で支えている健康保険制度の存続に大きな影響があるのも事実だ。
また、「新薬が保険適用になり、多くの患者が救われるかもしれないとはいっても、「キムリア」の自己負担は60万円、「オプジーボ」の自己負担は月額8万円。かなりの自己負担であることに変わりはない。
治療が受けられるのは、ある程度の収入がある患者であり、誰でもが治療を受けられる(平等なもの)ではないだろう」(大手病院内科医)との指摘もある。
今後も新薬が高額の保険適用薬となる可能性は大きい。脊髄性筋萎縮症の遺伝子治療薬「ゾルゲンスマ」は年内に厚労省の承認を得る可能性があると見られている。「ゾルゲンスマ」の米国での薬価は2億円を超えている。
こうした高額の保険適用薬については、今後も健康保険制度への影響、治療を受けられる患者の貧富といった問題から保険適用のあり方(たとえば、年齢制限や病状制限など)まで、さまざまな議論が必要になるだろう。(鷲尾香一)