「成果一辺倒」主義を是正できないリクルート
問題は、まず契約書に細かな記載がないという点でした。これでは同社は、後から何とでも言い訳できるのです。すなわち、なにか揉め事があった時も、「言った言わない」に持ち込もうとはじめから考えてのことではないのかと、うがってみたくもなります。
さらに、ここでも注目すべきは、「誰が顧客か」という視点です。後任担当者からすれば、自分の成績にならない先は顧客ではないので、余計な労力をかけたくないのでしょう。本社にお客様窓口が存在しないというのも、会社自体の考えがこれに同調しているとすら思えます。
すべては徹底した成果至上主義がいつしか行き過ぎ、「成果一辺倒」主義になってしまった結果であると思います。
じつはリクルートがこの成果一辺倒主義を省みるターニングポイントは、1989年に創業者の江副氏が逮捕されたリクルート事件にあったはずでした。この事件は、成果一辺倒主義を江副氏自ら推し進めんがために、政財界に値上がり確実という未公開株をバラまいて、贈収賄罪に問われ、有罪になったのです。
この時江副氏は、事件発覚と同時に辞任するという早業で、創業社長である自分ひとりが罪を被り企業イメージを守る策に出ます。本来ならば、事件後の事後処理として自ら風土改革に乗り出し、成果一辺倒主義の改めるべき点をしっかりと改善するべきでした。
結果、同社は改善の機会を逸したまま今に至り、是正されない成果一辺倒主義が弊社の一件やリクナビ問題やなどのトラブルを生んでいると、私には思えます。
企業経営において、「誰が顧客か」という自問は常に必要です。おカネを払ってくれる先、売り上げになる先、数字を作ってくれる先だけを顧客として見てはいないだろうか。目先の業績や成果を追い求め過ぎるがゆえに、過去の顧客、潜在的な顧客、いずれ顧客になるかもしれない先を軽視してはいないだろうか――。
リクナビ問題ににじむ、過去から脈々と続くリクルートの企業文化は、多くの企業とその経営者に警鐘を鳴らしているように思えます。(大関暁夫)