【IEEIだより】福島レポート なぜそれは「医学」研究だったのか!? 災害と医療研究(4)

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「我々は専門家じゃない」で済まされるのか

「医療者が論文を書いて業績を上げて、不満がないのなら別にいいではないか」

と、思われる方もいるかもしれません。しかし、被災地の健康問題が医学論文にばかり発信され、健康問題がまるで「医療者の特権」のようにみなされることは、今後の減災・防災において、大きな問題です。

   なぜなら、健康問題が医学論文にばかり報告されることにより、復興に関わる人々もまた、住民の健康は医療者に任せるものだと考えるようになってしまうからです。

   公衆衛生の世界ではよく言われることですが、医者は病気の専門家であって、「健康」の専門家ではありません。人々の健康はインフラ、セキュリティ、教育、一次産業など、さまざまなものに支えられており、医療はそのほんの一部を占めるにすぎないからです=下図「Dahlgren/Whiteheadによる健康を決定する主要因子」(注1)参照

   つまり高度な知識と技術を提供する医療とは異なり、健康を追及するためには、その地域の人々の文化的・歴史的背景や、健康に影響を及ぼし得る食や教育、環境、生活などの幅広い知識とバランスの取れた考察が必要となります。そして、このような考察は必ずしも医療者が得意とするところではありません。

「我々は専門家じゃないので」

   健康問題について議論をした時、私は幾度となくこの言葉を相手の方からお聞きしました。そう答えた方の謙遜や遠慮もあっただと思います。しかし、人々の健康を考えるうえで、これはとても危険な台詞です。なぜなら多くの災害は、経済・行政・医療・心理など複雑な事象が絡み合っているため、どんな人でも「専門家ではない」という言葉を免罪符に逃げることが可能だからです。

   皆が専門外という理由で火中の栗を拾うことを避けた結果、重要な健康問題が専門家の間で「たらい回し」にされ、他人事のように放置されてしまう。災害直後の被災地で実際に起きていたのはそういう事態でした。

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