「韓国経済は馬3頭で崩壊してしまうのか!」――こんな悲痛な声が韓国の経済界からあがっている。いったいどういうことか。
韓国大法院(最高裁)は2019年8月29日、朴槿恵(パク・クネ)前大統領のいわゆる「国政ろう断」事件にからみ、贈賄で起訴されていた李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長の二審の執行猶予判決を破棄、審理をソウル高裁に差し戻した。
1頭1億円の馬でサムスントップが実刑に?
その際、大法院は、李副会長が朴槿恵前大統領の友人崔順実(チェ・スンシル)の娘に送った馬3頭分(34億ウォン=約3億円)も「贈賄」と認めた。二審ではこれを贈賄と認めなかったため執行猶予になったが、34億ウォンが新たな贈賄として追加されると、実刑の基準である50億ウォンを大きくオーバーしてしまい、韓国最大の企業であるサムスン電子の司令塔・李副会長が収監される事態が避けられなくなる。
朝鮮日報(2019年8月30日付)が「『馬3頭が韓国経済を渦に巻き込むことになった』李在鎔氏の賄賂額が36億→86億、業績ショックにオーナーリスクが重なったサムスン」の見出しで、経済界の危機意識をこう伝える。
「サムスングループと財界は大きな衝撃を受けている。ある財界幹部は『サムスングループと李副会長の行く先は再び数年にわたって霧の中となった。韓国経済の輸出の20%を占めるサムスンの混乱は韓国経済にとって大きな負担となりかねない』と話した」
「これまで日本の輸出制限措置、半導体など主力部門の業績悪化、米中貿易紛争の激化など度重なる災難を解決するために東奔西走してきた李副会長にとって、今後は自身の差し戻し審公判への対応が最優先課題となる。差し戻し審の結果によっては、サムスングループの経営権全体が揺らぎかねない」
馬3頭分などの追加が、サムスンと韓国経済の運命の分かれ道になったという。李副会長による贈賄額は86億ウォン(約7億6000万円)になる。二審が認定した賄賂額(36億ウォン)に比べて50億ウォンも膨らんだ。
現行法によると、横領額が50億ウォン以上であれば、懲役5年以上を言い渡すことになっており、執行猶予判決を下すのは困難だ。いずれにしろ、李副会長側は贈賄罪について最後まで争うとみられ、裁判に忙殺され、経営を指揮するのは難しくなる。
「政府に協力すれば監獄行き、拒否すれば目を付けられる」
一方、今回の朴槿恵前大統領の「国政ろう断」事件の判決をめぐっては、経済界から「青瓦台(大統領府)の要求に知らないふりができない韓国企業の現実を無視した判決だ」とする不満の声が上がっている。
朝鮮日報(8月30日付)「政府事業を支援すれば監獄行き、拒否すれば目を付けられて...」がこう伝える。
「韓国大法院が29日、国政介入事件の上告審でこれまで論議を呼んでいた李副会長による『暗黙の請託』を認定した点を巡り、財界からは『政策への協力』と『政権癒着』を区別する明確な基準がない状況で、政権の要求に受け身で応じた企業が刑事責任まで負うことになりかねないとの声が漏れた」
これは、李副会長側が「大統領の強要によって、友人の娘に馬をあげただけで(受動的な賄賂)、それにともなう特典や利益は得ていない」と主張していることを指す。
しかし、大法院は馬3頭を「積極的な賄賂」とみなし、「それに伴う特典や利益もあった」と見たわけだ。
「財界幹部は『現・文在寅(ムン・ジェイン)政権が対北朝鮮事業を支援するよう要求し、それを聞き入れれば、暗黙の請託となり、賄賂となり得る。今後は政府の要請する事業に協力することが難しくなる』と話した。5大グループの役員は『暗黙の請託で企業人をまとめ上げるならば、政府の政策に協力した全ての大企業トップが刑務所の塀の上を歩くことになりかねない』としたうえで、『企業にとっては政府の政策に協力することへの不確実性リスクが一層高まった』と述べた」
韓国の政財界では、企業の政府への協力は政権幹部個人への資金提供といったズブズブの関係になるケースが少なくない。今回の裁判でも、李副会長が馬3頭を提供した朴前大統領の友人の娘は、アジア大会の乗馬競技で金メダルをとったアスリート。娘の「乗馬英才教育センターの練習用の馬」が名目だ。「練習馬」にしては、1頭1億円はかなり高いが、朴前大統領の「スポーツ政策への協力要請」に応えたというのがサムスン側の立場。だから、「政策への協力」を「賄賂」と見なされてはたまったものではないというわけだ。
「ある大企業役員は『今でも青瓦台(大統領府)が大企業トップを一度に呼び集め、投資と雇用を迫り、陰に陽に政府事業への支援要請が続いている。企業が政府の要請を受け入れれば犯罪者になりかねず、拒否すれば政権に目を付けられ、不利益を受けるという苦しい状況になった』と語った」
そして、財界関係者は「米中貿易戦争が激化し、日本とも経済戦争がピークに達している状況で、韓国を代表する企業であるサムスンが足首をつかまれた格好だ」と嘆いたという。また、経営者団体である韓国経営者総協会は8月29日、「経営界は今回の判決でサムスングループの経営不確実性が高まることを懸念しており、残念な思いだ」との声明まで出した。
政界の関心は「赦免された朴槿恵が何をしゃべるか」
こうした経済界の怒りとは裏腹に、トンデモない動きが政治の側で進行している。朝鮮日報(8月30日付)「朴槿恵被告、総選挙前に赦免? 裁判の日程次第で選挙戦に影響も」がこう伝える。
「韓国大法院が、朴槿恵被告の『国政ろう断』事件を破棄したことで、野党の一部で取りざたされてきた『総選挙前の朴槿恵前大統領赦免』の可能性に対する不確実性が高まった。当初、野党の一部では、今年末ごろ文在寅大統領は朴槿恵前大統領を赦免するだろうというシナリオが取りざたされていた。大統領の赦免権の行使は、大法院の確定判決後に初めて可能になる」
いったい、どういう根拠から朴槿恵被告が赦免されるというのか。
「今回の判決が出る直前まで、保守陣営(野党)では朴槿恵被告の年末赦免論が広がっていた。与党側が政治的計算により朴槿恵被告を赦免し、総選挙を前に保守陣営の分裂を誘導するという懸念も取りざたされていた。事実、朴槿恵被告が釈放された場合、どのようなメッセージを出すかによって、保守陣営が整備され、あるいは逆に分裂が深まる可能性もある」
その際、保守陣営の主流が望む構図は、朴槿恵被告が「すべて私の間違いだから、一つになって文在寅政権と戦ってほしい」と叫ぶことだという。釈放された朴槿恵被告がどんな発言をするか、あれやこれやの推測が飛びかっていたというのだ。しかし、大法院は二審に差し戻したことで、刑の確定は先延ばしになった。
そこで、目下の政界の関心はいつ二審が開かれて刑が確定するかだという。政界では「来年4月の総選挙まで7か月余り残っている。『朴槿恵変数』はまだある」という見方が広がっている。どうやら韓国の政界には、経済界の嘆き・悲鳴がまったく伝わっていないようだ。
(福田和郎)