陸軍、海軍ともに身勝手だった
資料はさらに、陸軍の怒りと陸海軍の連帯決裂状況も伝えています。陸軍の怒りは、海軍の要請を受けて一木隊を派遣していながら情報不足で相手勢力を見誤ったうえ、海軍の身勝手な方針で後方支援を得られずに一木隊を見殺しにされたことに端を発しています。記録によれば、大本営を舞台に激しく海軍に抗議する陸軍幹部にとこれに反駁する海軍幹部のやりとりは、以下のようなものでした。
陸軍幹部「海軍は、ガダルカナルで戦っている我々の兵士を見殺しにする気なのか」
海軍幹部「戦争に人情論を持ち込んでほしくない。戦略的に対局を見る立場からは、今は島の地上戦ではなく敵艦隊を叩くことが優先である」
このやり取りを受けて陸軍幹部は、「今後一切、海軍には協力しない」という強い決別の言葉を残して席を立ったと資料にあります。
この陸海軍の間に生じた決定的な亀裂は、この後、戦局が日本軍にとって一層厳しくなっていく中で敗戦に向かって大きく足を引っ張ることになったということが、新事実として明らかになったのでした。
問題点はどこにあったのでしょうか――。結局、陸軍、海軍ともにそれぞれの指導者の元で、勝手な活動を続けていました。なぜならば当時の軍国主義の日本において、政治家はたとえ首相であろうとも、天皇直轄を意味する「皇軍」を名乗る軍部に対して指導的な立場には立てませんでした。
一方で天皇の立場はといえば、名目上は国のトップに立っていたとは言え、現実には現場実情を知る由もなく、具体的な指示を下す立場にはなかったのです。すなわち陸軍、海軍両軍に対して統括的に指示を下す者はなく、それぞれの軍のトップ指揮下でそれぞれの思惑優先で動いていたということが、日本軍にとって大きな問題点のひとつであったのです。