患者が「モルモット」や「データ」に見えてくる?
(3)患者「モルモット化」の誤解
また、論文を書こうとする医者は患者を「データ」としか見ていないのではないか、という不信感もあるかもしれません。では、論文を書いているうちに診察室で目の前に居る患者さんが「モルモット」や「データ」に見えてくるのでしょうか。
それは、たとえば農家の方が土の成分や果物の糖度を詳細に記録しているうちに、「美味しい果物を作りたい」という気持ちが揺らぐのか、という質問に似ていると思います。医学論文は、決して日常診療の足をひっぱるものではありません。目の前の患者さんを良くしたいという思いと、その情報をなるべく多くの人々に伝えたいという思いは一人の個人の中で何の矛盾もなく共存し得るのです。
また、研究目的で被災地に来た人が、医療の質を落とすことがあるのでしょうか。たしかに海外の被災地などでは、名声や節税を目的に被災地に入り、質の悪い医療を提供したり、新薬や新しい術式を試したりした団体があった、という歴史もあります。
しかし、東日本大震災の際に支援に入った医療従事者は、日本の医師免許を持ち、日本の法律に従う人々です。またその大半の方は地域の医療施設に所属して、その施設の質に準じた医療を提供していました。
つまり、日本の被災地の医療は、一部の海外の被災地で見られるような「無法地帯」では決してなかったということです。
被災地で論文を書くか否かと、医師の人間性や提供される医療の質とはまったく関係がない、ということは多くの方に知っていただきたいと思います。
(4)「倫理審査」への誤解
(3)と関連することですが、医学研究を行う時には医療施設の「倫理審査委員会」で審査を受ける必要があります。これを聞くと、
「倫理審査が必要ということは、やはり倫理的に問題が生じ得るということだろう」
と、言われてしまうことがあります。
しかし、観察研究が倫理審査を受けなくてはいけない理由は、主に個人情報の取り扱いについてであり、他の医学研究に見られる人権のような「倫理」とはまったく異なります。もちろん、「観察内容が差別的な視野に基づいていないか」という観点での審査も行われますが、この観点で問題となる研究はあまりありません。