この夏、日本は猛暑に襲われているにもかかわらず、とくに観光名所ではインバウンドと呼ばれる外国人観光客の姿が絶えることがない。数年前から政府が成長戦略の柱と位置づけ推進している「ツーリズム」。2018年の訪日外国人客数は前年比8.7%増の3119万2000人で、五輪イヤー、2020年の目標4000万人も「射程」に入ったとされる。
だが、拡大するツーリズムのなか、民泊などで新規プレーヤーが参入しカオス感も漂う。本書「インバウンド・ビジネス戦略」(日本経済新聞出版社)によれば、それは日本がまだ観光立国として成熟していないから、だと。今後の観光ビジネスでは、多様なプレーヤーによる大きな方向の議論が必要と説いている。
「インバウンド・ビジネス戦略」(池上重輔監修、早稲田インバウンド・ビジネス戦略研究会著)日本経済新聞出版社
砂漠の街から「世界一の都市観光収入」に
東京・浅草は、昭和時代のひと頃はオワった感じが漂い、人出があるのは正月の初詣での時期と夏の三社祭などのころに限られていた。ところが、いまでは都内有数の観光スポットとなり、ウイークデー、ウイークエンドを問わず、観光客であふれている。もちろん、インバウンドの人たちの姿も多い。
かつては寺社の参拝客や、娯楽の少なかった時代には多数押し寄せた興行目当ての客らでにぎわった浅草。しかし、それらの客ばかりをいつまでも当てにできないことに、地元の関係者らが気づいたところでパラダイムシフトが起こった。
隅田川花火の復活、サンバカーニバル......。そして、電車でバスですぐに行け、また歩いてもちょうどいい散策ルートの先に、東京スカイツリーが誕生した。浅草が息を吹き返し、それを足掛かりに観光エリアの枠が広がった。
インバウンドをめぐって持続的成長を可能にするためには、思い切って考え方を変えるパラダイムシフトが欠かせない、と本書は強調する。日本の「観光」での潜在性を引き出すための手本として挙げられているのは、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイだ。面積は埼玉県ほどで「観光立国」以前はほとんどが砂漠。ところが、いまや年間約1600万人と人口の5~6倍もの観光客が訪れ、世界一の都市観光収入(285億ドル)を誇る。その額は2位の米ニューヨーク(170億ドル)、3位ロンドン(161億ドル)を大きく引き離している。
空港の「圧倒的ハブ化」
「世界一の高層ビル」「世界最大のショッピングモール」「世界最大の人工島」「世界最高の7つ星ホテル」など現代のドバイは、世界に名だたる観光資源をそなえる。だが、もともとは砂漠なだけに、年間の半分は最高気温が35度を超える厳しい気候や、食事や飲酒に制限があるイスラム文化圏であることを考えると、環境的には観光で「成長」を考えたことが不思議なくらいだ。
「ドバイの特徴は、明確なリーダーシップの下、一貫した観光戦略をもって観光資源を構築しマーケティング努力を継続してきたこと」。たとえば、ドバイのインバウンド最重要国はインドなのだが、その対策のためドバイでは、観光部門のシニア・マネジャーとしてインド人を採用。また、インド映画のテーマパーク、ボリウッド・パークを設けたり、インドで人気ナンバーワンのクリケット選手をプロモーションに起用するなど、インド人客誘致にぬかりがない。
もちろん、インドばかりを重視しているのではない。観光立国のためにはさまざまな国の人の流れを活発にすることが必要だ。そのために考えたのが「エアキャリアの圧倒的なハブになること」。「圧倒的」がミソだ。中途半端ではいけない。ライバルが現れたときにすぐに抜かれてしまう可能性がある。
どうすれば圧倒的なハブになれるか。トップダウンで打ち出したのが「世界の航空産業の中核」。各国の空港は旅行客のケアはするが、航空機のケアについては重視していなことに注目。航空機の修理には大別して12分野あるのだが世界の空港には5分野以上カバーしているところがなかったのだ。そこで、航空機修理をワンストップで包括的に提供する戦略を打ち立てた。
人材を集めてトレーニングセンターを構築。エアバス系、ボーイング系に分けて米英の大学などと技術提携を交わし、航空大手の整備拠点をドバイに呼び込んだ。また独自に長期間スペアパーツの保管に努め、また、パイロットの健康を管理する病院を設けた。故障機や中古機のオークションも開設した。
ビジネス・エコシステム戦略の適用を
ドバイでは、インド人向けプロモーションをはじめ、空港ビジネスの新分野開拓や他の観光資源開発でも「明確なリーダーシップ」「トップダウン」など「組織を上流から囲い込む戦略」により実施してきた。砂漠の都市ドバイが、世界一の観光収入国になったのは、世界トップクラスの高層ビルやショッピングモール、7つ星ホテルなどを備えただけではなく、それらを目指して訪れるための足回りもしっかり準備したのだ。
日本には、ドバイのアンチ観光の気候風土とは対照的に「変化に富んだ気候」「風光明媚な自然」「多様で奥深い文化」「種類と価格にバラエティーがあり質の高い食事」という、観光に有利な資源がそろっている。本書では、それらを十分に活用しているだろうか―と、疑問を投げかける。
ドバイは、観光部門のインド人シニア・マネジャーのように、外国人を活用して観光立国を目指すことを明確化。「人口減少の日本は、もしかするとドバイに外国人の活用方法を学ぶことでインバウンド・ビジネスの持続的かつ飛躍的拡張が可能になるかもしれない」という。
日本のインバウンド増大は近年のことであり「観光先進国」の実現を目指して「明日の日本を支える観光ビジョン」が策定されたのは2016年3月。観光立国に向けた動きは緒についたばかりといえる。それだけに、パラダイムシフトが必要なわけだが、本書では、ツーリズムを単なる観光としてではなくインバウンド・ビジネスとして事業機会を広くとらえ「ビジネス・エコシステム戦略の適用」を提唱。インバウンド・ビジネスに関わる人々・関連する組織全体を顧客の視点からとらえて、市場創造(ブルーオーシャン戦略)を促している。
観光や旅行、娯楽関連業界や自治体関係者ばかりでなく、新たなビジネスチャンスを探っている企業あるいは個人にも、参考になる一冊。
「インバウンド・ビジネス戦略」
池上重輔監修
早稲田インバウンド・ビジネス戦略研究会著
日本経済新聞出版社
税別2000円