以前、電車内で、お年寄りの男性と優先席に座った男性が口論している動画が話題になったことがあります。
嘆かわしいのは、お年寄りに席をゆずることがわからない人が存在することです。高齢者に対する蔑称である「老害」という言葉がありますが、このような言葉を聞くと、筆者は非常に残念な気持ちになります。皆さまはどのようにお考えでしょうか。
「あなたは『孤独』にどう向き合うのか?」(向谷匡史著)サンエイ新書
人生の先達という誤った視点
著者は、浄土真宗本願寺派僧侶、保護司、日本空手道「昇空館」館長も務める、向谷匡史さん。向谷さんにはいくつかの顔があります。
週刊誌の記者を経て作家になり著書は100冊を超えます。「ヤクザ式交渉術」「ヤクザ式心理術」などの「ヤクザ式」シリーズは代表作で、政治家の交渉術や人心掌握術を独自に分析したメソッド本にも定評があります。
いまは高齢者にとって、逆風の時代です。認知症や介護、さらに少子高齢化による年金破綻まで、メディアは連日のように老人問題を取り上げています。老人問題を、わが身と考えない世代が、「日本の邪魔」だと、罵詈雑言を浴びせています。
現実世界で目にするお年寄りは動作が緩慢だから、スマホもいじれない、ポケモンGOもできないし、生産性があるようにも見えないということでしょう。「お年寄りを大切にしましょう」と言われてもピンとこないのです。
高齢化社会で介護が社会問題になってからは、「高齢者=お荷物」という価値観が顕著になってきました。
若者に「なぜ、お年寄りを大切にしなければいけないの?」と聞かれたら、どのように回答すればいいのでしょうか――。一般的には「人生の先達」という視点があります。「お年寄りは、これまで一所懸命に働いて社会に貢献してきた。だから大切にしなくてはいけない」という意味になります。
しかし、「人生の先達」という視点は多くの問題をはらんでいます。一般的に大切にするというのは「オモチャを大切にする」といったように、つねに主体が「自分」にあります。自分のオモチャを大切にするのと同じように、「お年寄りを大切にしよう」という気持ちにはなれないでしょう。